あちこち旅日記

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神社の社格について

 前回、東京都府中市にある大國魂神社について報告しました。



 その際、鳥居に「官幣小社」という表記がありました。これは戦前まで存在していた神社の社格を示しています。


 社格制度は古代からありましたが、明治維新の後の近代社格制度は、延喜式による社格にならって新たに作られた制度で、第二次世界大戦後、GHQによる廃止指令(神道指令)によって廃止されるまで続いていました。神道指令後、旧社格の文字を埋め消した神社が多いと聞いていましたが、大國魂神社ではまだ残っていました。


 この近代社格制度では、神宮(伊勢神宮)は最尊貴の神社として社格制度の対象外とされましたが、その他の神社は官国幣社(官社)と諸社(民社)に格付けされ、官社>民社となっていました(官尊民卑の発想ですね)。さらに神社明細帳に記載されているものの、社格を有しない無格社が存在していました。


 官社は、祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社であり、神祇官が祀る官幣社と、地方官(国司)が祀る国幣社に分けられ、律令制の社格にならってそれぞれに大・中・小の格がありました。官国幣社ともいわれていました。


 主として官幣社は国家の一大事に朝廷が奉幣した有力神社の22社や天皇・皇族を祀る神社など朝廷に縁のある神社で、国幣社は各国の一之宮や地方の有力神社が中心となっていました。官幣社へは皇室(宮内省)から、国幣社へは国庫から幣帛が供進されていたことや、官幣社のみに菊花紋章の社殿の装飾への使用が認められていましたのが主な違いでしたが、1874年(明治7年)には国幣社にも菊花紋章の使用が認められました。


 明治になると、国家の宗祀であるとして官費が官社の経費として支給され、1887年(明治20年)度より毎年国庫から各社に経費下付されるようになりました。海外の方と話しているとよく「日本の国教は何か」と質問されます。欧州の国ではキリスト教会、仏教国では仏教寺院、イスラム教国ではモスクが国家の下で手厚い資金の保護を受けており、宗教施設が立派です。日本では憲法の規定(信教の自由)で、今ではこうした宗教施設への税金の投入ができませんが、戦前までは神道への国費が投入されたことで、立派な神社が全国に数多く残っています。参拝料もとらずに神社が財政的にやっていけるのも、賽銭や祈祷料、グッズ(絵馬、お守り等)の販売だけでなく、広大な資産(土地)の賃借料があるためと考えられます。


 また、1872年(明治5年)国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士などを祭神として祀る神社のために別格官幣社が創設されました(代表的なものが靖国神社です)。


 諸社からの昇格もあったため、全国約11万社のうち最終的に官社へ列格したのは218社でした。なお、官社にも序列があり、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社 、となっていました。なおその内訳は以下の通りです。


官幣大社 - 62社
国幣大社 - 6社
官幣中社 - 26社
国幣中社 - 47社
官幣小社 - 5社
国幣小社 - 44社
別格官幣社 - 28社


 これに対して、諸社は府県社・郷社・村社に格付けされ、社格は府社=県社>郷社>村社の順とされました。府県社は府、県、台湾の州、台湾、北海道、樺太の庁から奉幣を受けた神社、郷社は府県、郡、または市から、村社は市町村から奉幣を受けた神社を指しました。府社の社格は東京府・大阪府・京都府の3府に所在の神社に、県社はそれ以外の県に所在の神社に与えられましたが、北海道や樺太では「県社」とされ、1943年に東京都が誕生したが「府社」の名称はそのままとされました。


 昇格があったため、最終的には以下の社数になっていました。
府社・県社 - 1,148社
郷社 - 3,633社
村社 - 44,934社


 このほか、神社明細帳に記載されている(存在が公認されている)が、社格を有しない無格社の神社もありました。無格社であってもほとんどは氏子を有し、村社以上の神社とは、神饌幣帛料の供進がなかった点や境内地が地租もしくは地方税免除の対象とされなかった点以外に相違はなく、外見からは区別できません。
規模の小さな無格社の多くは明治末期の神社合祀で廃社とされてしまいましたが、最終的には59,997社ありました。


 戦後にGHQ指令により神社が国家管理を離れると社格制度も廃止されたため、現代では社格というものは公式には存在しません。しかし、近代社格制度における社格が「旧社格」として今でも使われることは珍しくありません。また、式内社(延喜式の神名帳に掲載され、朝廷より祈年祭班幣を受た神社)や一之宮(律令国で一番有力だった神社)などが古代の制度上の呼称が社格のようなものとして扱われています。


 また、全国の神社を束ねる包括宗教法人として神社本庁がありますが、包括している神社の中から撰定した「別表神社」というものや、各都道府県神社庁によって独自に定められた制度上の呼称があり、これらも一種の社格のようになっています。


 このほか、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)勅祭社、元准勅祭社12社の内から、1975年(昭和50年)に定められた東京近郊の10の神社から構成される「東京十社」などもあります。なお、前回紹介した大國魂神社は、東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮とともに東京五社に数えられていますが、東京十社に入っていません。


 明治以降の近代社格制度と古代の社格制度などを比較しても、一之宮と二之宮以下の神社で序列が逆転しているケースがあり、興味深いところです。今後、このブログで神社について採り上げる際には、できる限り様々な方式による社格について言及できるようにしてみます。


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