休日に柴又を散歩してきました①:京成金町線の歴史と柴又駅
先週末に京成金町線の沿線旅をしてきました。といっても、京成金町線は全長わずか2.5㎞で、金町、柴又、高砂の3駅しかありません。沿線旅イコール柴又散歩です。
京成金町線は、柴又 - 金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道を起源としています。1897年(明治30年)に日本鉄道の金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した際にその交通の便を図ろうと1899年(明治32年)に帝釈人車鉄道が設立され、同年内に柴又 - 金町間で営業を開始しました。当時の線路は全線複線の人車軌道でした。
1907年(明治40年)には帝釈人車軌道と社名を改められました。
一方、成田山や柴又帝釈天の参詣客輸送を目的に、京成電気軌道(現在の京成電鉄)が設立されたのは1909年(明治42年)でした。京成電気軌道も当初は、帝釈天を通り金町への路線を計画して
いましたが、帝釈人車軌道とルートが重なっていたことから、帝釈人車軌道は1912年(明治45年)に軌道特許を京成電気軌道へ譲渡。同年、京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上 - 市川
(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂) - 柴又間を開業させました。
1913年(大正2年)には柴又 - 金町間の人車の運行を停止るすとともに電化され、単線電化で柴又 - 金町間を延伸して電車の運行を開始。現在の京成金町線になりました。
JR常磐線からは金町駅で乗り換えます。
高砂駅からも乗り継げます。
柴又駅には、寅さんのシルエットがついています。
駅前には、寅さんの銅像があります。
「見送るさくら」も。
ファミマなどお店の色も、銅像と調和するなど景観が意識されています。
お土産物屋さんが駅前から軒をつらねます。
「ブラジャー」とは、ブランデーのジンジャエール割のことだそうです。
昭和レトロが漂っています。
観光案内所で情報収集もできます。
「寅さんの街」といっても過言ではありません。
故渥美清さんが寄贈した常夜塔
ここから帝釈天まで風情ある参道が続きます。
参考になったら、「プロフィール」のバナーをクリックお願いします。過去の記事リストがあります。シリーズ通してご覧いただければ嬉しいです。















