あちこち旅日記

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海とつながっている今治城:松山・今治シティの旅④

百代の過客

 今治周辺にはいくつか観光名所がありますが、今回行きたかったのが今治城でした。


 今治城は、吹上(吹揚)城とも呼ばれ、黒田孝高、加藤清正と並び築城三名人の一人にあげられる藤堂高虎により築城されました(1604年完成)。それまで藤堂高虎は宇和島藩8万石(当初は7万石でしたが、朝鮮出兵で戦績を上げ、のちに大洲城下1万国を加増されました)の藩主でしたが、関ヶ原の戦後、今治城12万石が加増され、所領の石高は20万石となりました。


 藤堂高虎は、1609年に伊勢・津藩に転封となり、今治は飛び地となりましたが、1635年に養子の高吉が伊賀国名張に移る一方、伊勢国長嶋城より松平(久松)定房が入城し、以後今治藩は久松松平氏により明治維新まで統治されました。


 今治城は1869年(明治2年)に廃城となり、1871年(明治4年)の火災で炎上してしまいましたが、1980年(昭和55年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで再建されています。


 この今治城の特徴は三重の堀に海水を引き入れた特殊な構造にあり、当時は海から堀に直接船で入り、堀に停泊できました。日本三大水城の一つ(あとの二つは香川県高松城、大分県中津城)とされています。また、日本百名城の一つでもあります。


 海からの水路です。


水路が堀につながっています。


 海水魚が堀に生息しています。


 真水が染み出しているところがあり、淡水魚も生息している不思議な堀です。


 よく見るとボラが泳いでいました。



鉄御門


 藤堂高虎の像


 城内には吹揚神社があります。


 神社は天守に隣接しています。県社ということもあり、格式高そうですが、ガイドブックにはあまり紹介されていません。


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