島原の反乱軍の拠点・原城:島原半島の旅⑨
島原の乱では天草四郎率いる反乱軍は、現在の南島原市にある原城に立てこもり戦いました。原城は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素として、世界遺産に登録されています。
原城はキリシタン大名であった有馬貴純により有明海に面する丘陵に築城されました。当初は日野江城の支城との位置付けられましたが、有馬晴信の居城として16世紀末に整備さ8れました。
その後有馬氏が日向に転封となった後に松倉氏が入城したが、一国一城令が出された後に島原城を居城としたため、廃城となっていました。
島原の乱後は幕府が石塁などの残存物の破却を行なっており、現存する建物は残されていません。発掘では一揆軍の遺骨や弾丸などが見つかっています。
幕府軍を当初指揮し、戦死した板倉重昌の碑。後に子孫により建てられました。重昌の戦死後、事態を重くみた幕府は知恵伊豆こと老中松平信綱を総大将として送りこみ、3ヶ月かけた水攻めや総攻撃で一揆を平定しました。
島原の乱の原因となった島原藩主の松倉勝家の圧政に対して幕府は厳しい対応で臨み、勝家は斬首の刑に処せられています。
眼下に有明海が当時と変わらぬ様相を見せています。
二ノ丸跡
資料館のようなものが建てられています。今後、観光施設としてさらに整備が進むと期待されます。
本丸跡
一揆から約130年後に畑から見つかった人骨を集めて供養した骨カミ地蔵。
埋門跡
総合案内所がありました。ガイドしていただけるようです。
三ノ丸跡
大手門跡
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