あちこち旅日記

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「えこだ」それとも「えごた」?:練馬にまつわる不思議な3つの駅(続編)

 以前、練馬にまつわる不思議な駅として、豊島区ではなく練馬区にある「豊島園」、練馬区にはなく板橋区にある「東武練馬」を紹介しました。今回は残るひとつ江古田を紹介します。




 西武池袋線の江古田(えこだ)駅は練馬区にありますが、練馬区には現在江古田という地名はなく、駅からさほど遠くないところに中野区江古田があります。しかもここは「えごた」と読みます。


 なぜ、こんなことになっているのでしょうか。調べてみると興味深いことがわかりました。江古田の地名が登場する最古の文献としては、太田道灌(1486年没)が記した書状(道灌状)が知られています。道灌状には。江古田原というところで練馬・石神井両城から攻めてきた豊島氏を太田道灌らの軍勢が迎え撃って合戦したことが記されています。江戸時代後期の文化文政期(1804-1829年)に編まれた『新編武蔵風土記稿』にも江古田(えこた)村の項目があります。江戸時代の江古田はかなり広い地域にわたっていた模様です。


 西武池袋線の江古田駅は練馬区旭丘にありますが、この地は1960年の町名変更まで練馬区江古田町でした。ここはもともと、江戸時代に多摩郡江古田村の新田として開発された地域に相当します。1664年(寛文4年)に新田の検地が実施され、江古田村辰之新田または江古田村新田として年貢が割付られるようになったとの記録があります。明治維新後の1869年の町村制施行で上板橋村字江古田になり、東京市発足後板橋区江古田、その後練馬区江古田になりました。


 これに対して中野側の江古田村は練馬側よりも古くからあった地で、町村制施行で野方村大字江古田、後に野方町大字江古田となり、1932年に中野区の江古田一丁目から同四丁目までの4つの町丁に分けられました。


 地名の歴史は以上の通りですが、もう一つの謎は、読み方が「えこた」「えこだ」「えごた」の3つが混在していることです。このうち「えこた」という読み方は古来の読み方で、今日ではあまり使われなくなっているようです。


 ちなみに江古田通りという道があり、目白通りとの交差点を境に中野区道と練馬区道とに分かれていますが、中野区道は「えごた通り」と読みます。


 しかし、練馬側では「えこだ通り」となっています。一方で、都営地下鉄では練馬側にあるのに「新えごた駅」の表示です。

 
 また、江古田駅近くに江古田二又というバス停があります。バス会社によって読みが異なり、国際興業バスでは「えこだふたまた」、都営バスでは「えごたふたまた」としています。


 新江古田駅前のバス停は「新えごた駅」と読んでいますが、次のバス停の江古田駅は「えこだ駅」と表示するなど、使い分けられています。

 新江古田駅近くの道路標識も「えこだ」「えごた」の使い分けが行われていました。


 各種文献によると「えごた」が正しいという説が多いようです。少なくとも中野区側では「えごた」を正式な地名としており、練馬区の方でも「えごた」と読む方がいらっしゃるようです。


 しかし、西武鉄道の江古田駅は「えこだ」と読まれ、江古田駅前の商店街や銀行の支店名も「えこだ」としています。また、練馬区には「江古田の富士塚」という史跡がありますが、文化庁のデータベースでは「えこだのふじづか」とのふりがながふられています。

 ちなみに江古田の富士塚は江古田駅北口を出てすぐの浅間神社の境内にあります。

 そもそも江古田駅は1923年に武蔵野鉄道がはじめて江古田の名を入れて改名した時は「えごた」と読まれていたそうです。しかし、武蔵野鉄道を引き継ぎ1946年(昭和21年)に西武鉄道が発足した際に、読み方は「えこだ」に変わりました。このように「えこだ」の名前の発祥については西武鉄道説が有力のようですが、西武がなぜ読み方を変えたのかについての理由は、今では誰もわからないようです。都営大江戸線が開通して、新江古田が開業したのは2000年のことで、それまでは練馬区側の江古田駅周辺の方がが大きく発展したため、地元以外の方には「えこだ」の知名度の方が広がっていったようです。


 なお、地名をめぐって練馬区と中野区で喧嘩などは起きておらず、混乱も生じていないようです。地元の方にはどうでもよい話なのかもしれません。


 ところで、江古田駅周辺には大学が3校あり、都内有数の学生街の一つになっています。


 一つ目は武蔵大学です。ここは1922年に設立された旧制武蔵高校を前身とし、少人数教育のゼミで知られています。もっとも、現在では武蔵中学高校の方が開成、麻布と並ぶ中高一貫の男子校の御三家として知名度が高いようです。武蔵中高は進学校らしくないリベラルな学風な一方、真面目な生徒さんが多い(チャラチャラしていない昭和時代風の秀才)という印象です。一度、武蔵中高の学園祭を見に行ったことがありますが、雰囲気もいいところです。

 これに対し、駅の北側には芸能人も数多く輩出している日大芸術学部(通称日芸)があります。

 また、日本最初の私立音大として知られ本格的なホールを擁するなど文化の香りあふれる武蔵野音大があります。お嬢様風の学生さんが多いという印象です。

 3つの大学がそれぞれ個性が強く、ステレオタイプ的な学生街のイメージはあまり感じません。


 日芸と武蔵野音大があるので、こうした施設がいくつかあります。

 劇団の加藤健一事務所もあります。ただし、同氏は日芸出身ではないようです。


 江古田駅前は雑然としていますが、南北両側とも古くからの商店街となっており、ユニークな飲食店が集まっています。なかでも老舗バーの「江古田コンパ」は、アド街ック天国にも2度登場するなど、よくテレビ番組で紹介されています。

 カクテル教室やコンテストも開催しているようです。名物ママがいらっしゃるようなので、一度行ってみたいお店です。

 駅の北側には、こんな謎の店名の飲食店もあります。

 これに対し、新江古田周辺はまだ歴史が浅く、大きな商店街は形成されていません。目白通り沿いにロードサイド店が並んでいる程度です。商店街の繁栄という観点からは「えこだ」がまだ優勢のようです。


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