諏訪大社下社春宮と万治の石仏:信州リベンジ旅下諏訪編④
中山道を江戸方面に下る(道を上る)と、諏訪大社下社春宮を見下ろす高台に着きました。
柵を超えて下れば下社春宮に行けますが、さすがにマナーに反すると思い、正面の御影石の大鳥居に回り、そこから参拝しました。ちなみに大鳥居は1659年(万治2年)建立と推定されています。
珍しく、鳥居の前に手水舎があります。
秋宮と春宮は同格とされていますが、下社最初の遷座地は春宮とされています。春宮と呼ばれるには毎年2月-7月に祭神が祀られているためです。
江戸時代、天和年間(1681年-1684年)頃造営とされている神楽殿。
安永9年(1780年)に落成した幣殿。拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並んでいます。
二之御柱
末社の子安社
参道の右脇にある御神木。地上10メートル付近で二股に分かれていますが、根元は一緒になっていることから「結びの杉」といわれています。
春宮の西方には砥川が流れています。川の上流方向に進み、
橋を渡ると
浮島社があり
その先に万治の石仏があります。下諏訪駅改札口横にもレプリカがあります。
万治の石仏と春宮の石鳥居の作者は同一人物といわれています。高さ2.6メートル、幅3.8メートル、奥行き3.7メートルの安山岩をそのまま胴体とし、その上に高さ約65センチメートルの仏頭を乗せています。1970年代に岡本太郎が紹介したことで日本全国に広く知られるようになりました。
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