関門海峡をわたり唐戸へ:長州の旅・下関北九州編⑧
かつては関門海峡は関門連絡船が門司港駅と下関駅の間を結んでいました。関門鉄道トンネルの開通後は、しばらく関門鉄道トンネルが通らない門司港駅付近と下関を往来する地元住民のために旅客船が運行されていましたが、民間の関門汽船や関門国道トンネルを通るバスへの旅客移行が進み、廃止されてしまいました。
現在では、関門海峡を渡る公共交通機関は
・鉄道(関門鉄道トンネルを通るJR線)
・フェリー(関門汽船が運行)
・関門国道トンネルを通航する路線バス(サンデン交通)
・関門大橋を通る高速バス
が利用可能です。
今回は門司港から下関まではフェリーで戻ってきました。
門司港から下関までは目と鼻の先です。遠くには関門大橋が見えます。
フェリーは20分おきに出ています(運賃は400円)。下関側の港は唐戸(からと)です。門司港から巌流島行きの便は現在は運休中で、唐戸に一度わたる必要があります。
わずか5分で唐戸に到着しました。
唐戸には日本有数の水産市場、レストランやお土産物やさんが並ぶ複合施設・カモンワーフがあります。
また、近くには下関の鎮守、長門国三宮(旧社格は県社)である唐戸八幡宮があります。創建は859年(貞観元年)とされ、大内氏・毛利氏など歴代藩主の崇敬を受けてきました。
この神社にちなむ故事がたくさんあることでも有名です。
第一に、この地が山陽道の終点に当たります。
第二に、石鳥居の扁額にある「山」の文字の左下に白い点が見えますがこれは野球のボールがはまり込んでしまい、取れなくなってしまったものです(1958年頃の話だそうです)。このため、高校球児たちが験かつぎに必勝祈願に訪れたり、「落ちない」ボールにあやかって合格祈願に訪れる受験生も絶えないそうです。
境内には巨大な「波乗りふくの像」(現地では「フグ」ではなく幸運を呼び込み「ふく」と呼ばれています)。1888年(明治21年)に当時の内閣総理大臣伊藤博文が下関でふぐ刺しを賞味し、その美味を絶賛したことから全国に先駆けて食用禁止が山口県で解禁されたそうです。昭和9年に表参道東側に「波乗りふくの像」が建立されましたが、戦時中に金属供出に出されてしまいました。現在の像は1989年(平成元年)の有志により復元されたものです。、
かつてこの地には亀山砲台跡がありました。攘夷の機運が高まっていた1863年(文久3年)にアメリカ商戦攻撃の合図の砲弾がこの砲台から発射され、米仏蘭三国相手に6回の砲撃戦が行われました。
また、この地には「お亀茶屋」がありました。1865年(慶応元年)に刺客に追われた伊藤博文が亀山八幡宮の境内で茶屋のお茶子だった木田梅子(後の妻)に助けられたことが二人の縁になったとされています。
最後に、亀山八幡宮は「床屋発祥の地」ともされており、山口県理容生活衛生同業組合が毛髪供養祭を毎年開いています。鎌倉時代後期に亀山天皇に仕えていた武士が宝刀紛失の責任をとり京都から下関に移り、髪結いの技術を習得しました。店は亀山八幡宮の近くにあり、床の間に立派な祭壇があったことから「床屋」の屋号で知られるようになったそうです。
参考になったら、「プロフィール」のバナーをクリックお願いします。過去の記事リストがあります。シリーズ通してご覧いただければ嬉しいです。













