小田原の「かまぼこ通り」と2大「あんぱん」有名店
前回、小田原にある「ういろう本店」を紹介しましたが、小田原にはいくつか名産品があります。このうち、特に有名なのが「かまぼこ」であるのは今さらご説明するまでもないでしょう。
小田原は戦国時代は北条氏が支配する関八州の中心地であり、江戸時代になると東海道最大の宿場町として賑わいました。鉄道が開通したことで、街の中心は宿場町から現在の駅の方に移ってしまいましたが、江戸時代に栄えていた商家は明治・大正期に建て替えられたものの、太平洋戦争を生き抜き(東京大空襲に参加した米軍機が燃料切れになりそうだったので残った爆弾を小田原市内に投下し、火事になったそうです)、現在も風情を残しています。
前回紹介した「ういろう本店」を出発し、旧東海道(現国道1号線)を江戸(東京)方面に進みます。
道路の対面には1633年(寛永10年)創業の小西薬局がありました。現在の店舗は大正時代に建設されたもので、屋内の一部は小さな薬博物館として無料公開されています。ういろう本店の奥の蔵も「ういろう博物館」になっています。
小田原の隠れた名物に「あんぱん」があります。知人にもファンが多く、「小田原に行く」というと「あんぱん買ってきて」と必ず頼まれます。有名店が小西薬局の近くにある「柳屋のパン」と、小田原駅近くにある「守屋のパン」です。あいにくこの日は日曜日で、両店とも定休日でした。
この付近に、本陣跡があります。小田原宿には4軒の本陣があり、この久保田本陣は黒田家、鍋島家、毛利家などが定宿としていました。
現在は山崎タイルのオフィスになっています。
このまま進むと、国道1号線は左折し小田原駅方面に向かいます。これに対して旧東海道は真っすぐ進み、古い商家や民家が多くなります。
この分岐点にあるのが、「なりわい交流館」です。1932年(昭和7年)に建設された旧網問屋を再整備したもので、小田原の典型的な商家の造りである「出桁(だしげた)造り」という建築方法が用いられています。また、2階正面は出格子窓になっており、昔の旅籠の雰囲気を醸し出しています。2階は、関東震災後に耐震工法として採用された洋小屋の構造を取り入れるなど、当時の小田原の時代背景を感じさせる貴重な建物です。
現在は、市民や観光客の「憩いの場」として、誰でも立ち寄れる「お休み処」や市民活動の発表の場になっています。
この近くに、江戸時代に小田原宿本陣筆頭を務めた清水金左衛門衛門家跡地があります。
この旧東海道と並行する千度小路にはかまぼこの有名店が並び「かまぼこ通り」といわれています。
(出所)小田原市観光協会
1870年創業の丸う田代総本店。2020年10月に経営破綻しましたが、2021年11月に復活しました。
1814年(文化11年)創業の籠清。
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