東海道宿場巡り⑥:藤沢宿(後編)
今回の東海道宿場巡りは、藤沢宿の後編です。広重の東海道五十三次・藤沢宿にも描かれている遊行寺からになります。
遊行寺の正式名称は清浄光寺(しょうじょうこうじ)で、時宗総本山の寺院です。遊行寺と呼ばれるようになったのは近世になってからです。なお、「遊行」とは、主に仏教の僧侶が布教や修行のために各地を巡り歩くことを意味しますが、時宗では指導者に対して「遊行上人」の敬称が使われています。 特に時宗の開祖である一遍、その弟子で遊行派の始祖である他阿を指す事が多くなっています。
時宗は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派です。一人の念仏が万人の念仏と融合するという大念仏を説き、浄土宗では信心の表れとして念仏を唱える努力を重視し、念仏を唱えれば唱えるほど極楽浄土への往生も可能になると説いています。 また、阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いていました。
一遍上人は、1221年の承久の乱により没落した伊予国(愛媛県松山市)の豪族の河野家の次男として1239年に生まれました。1248年に10歳より仏門に入り、1251年からは太宰府の聖達上人の元で、浄土教を学びました。父が亡くなると一度故郷に帰り、半僧半俗の生活を続けていましたが、1271年に33歳で再出家し、1274年より全ての財産を捨て一族とも別れ 16年間の遊行の旅に出ました。
遊行寺の創建年は1325年( 正中2年)で、遊行上人第四代呑海によるとされています。1513年(永正10年)に北条早雲と三浦道寸、太田資康との戦いにより全山焼失してしまいます。その後、関東の覇者となった後北条氏と対立したことから再興が許されず、1607年(慶長12年)になり、天順により再興されました。
書院
宝物館
鐘楼
本堂
境内にはカフェもあります。薬膳カレーをいただきたかったのですが、店内にはスタッフが誰もおらず残念でした。
骨董品市が開催されていました。
山門の隣には「ふじさわ宿交流館」がありました。
隣には高札場が復元されています。
遊行寺より東は登り坂になり、遊行寺坂を呼ばれています。この坂の下あたりが宿場の東端で、江戸見附があった模様です。
東海道を挟んで遊行寺の向かいには諏訪神社があります。諏訪神社は、遊行寺を開いた呑海が同寺院の鎮守として信州の諏訪から勧請したことにより創建されたと言われています。明治維新後の神仏分離によって遊行寺から独立しましたが、現在でも祭事などでの関わりは続いています。
遊行寺坂を上ると、一里塚跡の碑がありますが、当時のものは現在は何も残っていません。
次回は戸塚宿です。4月27日の投稿を予定しています。
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