都電さくらトラム:荒川二丁目~三ノ輪橋:ぶらり途中下車でお花見の旅(最終回)
本日のスタートは荒川二丁目です。
荒川二丁目の停車場すぐ横には、三河島水再生センターの水処理施設の上部空間を利用した荒川自然公園があります。
ここもさくらの名所です。
次の停車は荒川区役所前です。ここも区役所や関連行政施設などがあるだけで、観光客には面白みに欠けます。
次の停車は荒川一中前です。
ここから、終点の三ノ輪橋までは商店街「ジョイフル三ノ輪」が線路と並行にあります。行った日は朝早かったので、残念ながらまだお店はあまり開いていませんでした。
次は終点三ノ輪橋です。
駅前に「三ノ輪橋おもいで館」があります。
ここでは、各種乗車券のほか、都電や地下鉄のグッズを販売しています。
かつての都電の路線図もあります。
停車場のすぐ脇には「ジョイフル三ノ輪」の出口があります。
朝早くて閉まっていましたが、都電カフェ「都電屋(Toden Hotel)」さんがありました。
三ノ輪橋停車場近くには、結構名所があります。まずは、浄閑寺です。寺に身よりのない遊女や行き倒れなどの遺体が放り込まれたことから、投げ込み寺と呼ばれています。寺では遺体を無縁仏として葬ってきたそうです。
次に、円通寺です。歴史遺産の宝庫と言われており、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる古刹です。
源義家が奥州を鎮圧した時に、48人の賊首を埋めて供養したとされる「四十八首塚」。その背後にあるのが「七重塔」と「鷹見の松」です。「鷹見の松」は江戸時代、徳川家光が鷹狩りの際に放した鷹が止まったことでその呼び名になったそうです。
また、明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った縁で、上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もあります。
さらに、1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の被害者の遺体発見現場となったことでも知られ、敷地内に被害者の慰霊地蔵があります。
最後は「証拠の松」という樹齢五百年の松があった公春院です。江戸時代には新しく寺院を建てることが禁止されており、検分にきた幕府の役人がこの松を見て、新しく作られた寺院でないことの証拠だとしたことから名付けられました。現在はこの松はありませんが、境内には立派な松が存在しています。
(参考:路線図)
(出所)東京都交通局
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