あちこち旅日記

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草加せんべいと千本松原が名物の草加宿:日光街道宿場巡り①

 以前、日光街道(奥州街道)の最初の宿場町であり、奥の細道の起点となった千住宿を紹介しましたが、その先はどうなっているのか宿場巡りをしてみることにしました。今回は埼玉県に入っての最初の宿場町の草加宿です。


 奥州街道・日光街道の千住から越ヶ谷間は沼地が多く、かつては迂回して元荒川の自然堤防に沿って越ケ谷に至る経路を取っていました。しかし、大川図書が中心となり新道開削が行われ、千住から越ヶ谷間をほぼ直線で結ぶ草加新道が築かれました。


 その後、街道沿いに茶店や旅籠屋など旅人相手の商いを目指す人々が集るようになり、1630年(寛永7年)に草加は千住宿に次ぐ2番目の宿となりました。


 東武スカイツリーラインの草加駅前にあるマルイ1階に観光案内所があり、ここで草加宿についての情報を入手することができます。

 江戸時代の宝暦年間まで置かれた本陣大川家の跡碑です。今は何も残っていません。

 宝暦年間から明治初期まで本陣だった清水家の跡にある石碑です。


 八幡神社。この日はお祭りでしたが、あまりの高温のためこども神輿は中止になっていました。楽しみにしていたちびっ子たちには気の毒でした。

 この隣には江戸時代の宿場町にあった商家の造りが良く伝わる建物で、国登録有形文化財となっている藤代家があります。この日は露店が前をふさいでいて写真がとれなかったので、草加市役所のホームページのリンクをつけておきます。




 日光街道の宿場の雰囲気を漂わせる小公園で茶店風休憩所の「おせん茶屋公園」。草加せんべいの元祖とされる「おせんさん」にちなみ名づけられました(ただし、これは後の時代に作られた話のようです。次回報告します)。


 
 1713年(正徳3年)に、草加宿の総鎮守として現在の位置に建てられたといわれる神明宮。現在の社殿は弘化4年(1847)に再建されたものです。

 「おせん公園」にある草加せんべい発祥地の碑。

 日光街道を隔てて立っている河合曾良(奥の細道の旅に同行した俳人で、松尾芭蕉の弟子)の像があります。

 ここが草加宿の北の端にあたります。谷古宇橋を渡ると国の名勝「草加松原」が続きます。



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