あちこち旅日記

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静御前が眠る栗橋:日光街道宿場巡り⑧

 今回紹介するのは、日本橋から数えて7番目の宿場である栗橋宿です。当宿と利根川対岸の中田宿を合わせて一宿とする記述もあります。現在の埼玉県久喜市に当たります。最寄り駅は、JR東北本線(宇都宮線)および東武鉄道日光線が交差する栗橋駅です。


 栗橋駅のすぐ近くに、源義経の側室だった静御前の墓所があります。静御前の伝承は、久喜市から古河市の地域に伝わっているものです。久喜市と古河市は、今では利根川で二つに分かれていますが、十七世紀初めに江戸幕府が川の改修工事を行う前までは地続きの土地でした。古河市中田の光了寺にある「静女蛙蟆竜舞衣略縁記」(しずめあまりょうめぶいりゃくえんぎ)の記述があり、義経を追って静御前が侍女を連れて東北へ向かったものの、その道中、下総国下辺見(古河市)まで来たときに、往来の人から義経が平泉で亡くなったことを聞き、出家して義経を弔う事を決意して「思案橋」と呼ばれる橋を渡り前林(古河市)に向かったとされます。前林に着いた静御前は、道筋の目印に柳の枝を結んで京都を目指し、そこから現在の栗橋駅に近い伊坂までたどり着いたものの、旅の疲れから息を引き取ってしまったそうです。


 その光了寺はもともと栗橋駅前にありましたが、途中いくつかの移転を経て、現在の中田(古河市)に落ち着きました。江戸時代の1803年(享和3年)に「静女之墳」が、1887年(明治20年)に「静女家碑」が建設されました。1889年(明治22年)に行われた「明治の大合併」では伊坂村は周辺の村と合併し「静村」(しずかむら)と名付けられました。



 駅から歩いて700メートルほどで旧日光街道に出ます。日光街道に出る少し前に栗橋八福神の一つ福寿院があります。

 日光街道に出ると、栗橋宿ののぼりが掲げられています。街道沿いには古商家がまだ残っています。

 まだ現役の吉岡燃料店。

 江戸末期の建築で、明治期に炭、練炭などの燃料販売を、戦後は味噌、醤油、塩などの販売を行ってきた橋原屋。

 栗橋関跡。日光街道が利根川を越す房川渡に関所が設置されました。当初は対岸の中田にあったため「房川渡中田関所」と呼ばれましたが、後に栗橋に移転し「栗橋関所」と呼ばれるようになりました。現在は、記念碑のみしか残っていません。
 

 栗橋、中田ともに、こうした旧跡には、スタンプ台が設置されています。

 利根川沿いには栗橋の総鎮守である八坂神社があります。スーパー堤防の工事が行われているため、数年前に現在の地に移転してきました。

 利根川を渡ると茨城県古河市にある中田宿に入ります。


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