あちこち旅日記

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パリ万博で銅賞を受賞した古商家でランチ:日光街道宿場巡り⑦

 今回紹介するのは、日本橋から数えて6番目の宿場である幸手宿です。現在の現埼玉県幸手市に位置し、最寄り駅は東武日光線の幸手駅になります。

 歌川広重「日光道中・幸手」

(出所)幸手市ホームぺージ


 幸手宿は将軍家が日光社参の際に江戸から使った「日光御成道」が、日光街道と合流する場所として、また、筑波道が分岐する重要な宿場町でした。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒があり、日光街道では千住宿、越ヶ谷宿に次ぐ3番めの規模を誇っていました。前回紹介した杉戸宿と同様に、都市化がさほど進んでおらず、古民家・古商家が多く残り、カフェなどにリノベーションされてまだ活躍しています。


 駅前通りを300メートルほど進むと、旧日光街道にあたります。すぐに目に入る「小島商店」は薪炭商、絹糸商を営んでいたようで、昭和初期の建物だそうです。


 街道沿いには、「日光街道幸手宿」と書かれた暖簾(のれん)が出されています。
 
 江戸方面に戻ると、岸本家住宅主屋があります。かつて醤油醸造業を営み、1900年(明治33年)のパリ万博で銅賞を受賞した名家です。現在は、カフェとして利用されています。

 国登録有形文化財になっています。

 この日のランチは、ここでいただきました。店内はこじんまりしていますが、内装はレトロな感じが生かされています。

 この日はここでランチをいただきました。帆立とベーコンときのこの和風パスタのセット(サラダ、ドリンクつきで1180円)。

 1755年(宝暦5年)に伊勢皇大神宮の分霊を祀った神明神社。神社の前には法令 ( 一般法 、 基本法 )を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させた高札場が置かれていました。

 1881年(明治14年)、1896年(明治29年)の2度にわたる明治天皇の行在所になった旧中村家跡。題字は東郷平八郎元帥。

 1903年(明治36年)に創業した永文商店。今も酒類食品小売および食品の卸売業を営んでいます。街道沿いの商家は昔から、間口が狭く奥行が長い「ウナギの寝床型」が一般的で、永文商店もその一つでした。道に面して、一番手前が店舗、その次が住居、一番奥が倉庫という作りになっており、トロッコ」商品の入出荷の運搬に活躍してきました。このトロッコは全長約40メートルのレールの上を、約1トンの商品を楽々と運搬することができる優れもので、今も現役で働いているそうです。

 元石炭商の竹村家。昭和初期の建築です。

 元米穀商の平井家。味噌増の屋号があります。1922年(大正11年)建築。

 問屋場跡地。今は公園になっています。

 本陣跡地。「割烹 蒲焼 義語家」前に本陣知久家跡の説明板が立っています。

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