ひまわり畑に圧倒された野木宿:日光街道宿場巡り⑪
今回紹介するのは、日光街道の10番目の宿場である野木宿です。古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つですが、現在の行政区画は栃木県下都賀郡野木町で、あとの二宿(茨城県古河市)と別れています。JR宇都宮線野木駅が最寄り駅ですが、距離的には古河駅とあまり変わりません。
隣接する宿場と比較すると規模が小さく、古河宿・間々田宿・小山宿に宿泊客は流れがちであった模様です。野木神社のある場所がかつて野木宿のあった場所になります。
野木神社は仁徳天皇の御代、莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)を祀ったことに始まるとされます。毎年12月には古河市と野木町でそれぞれ「提灯竿揉み祭り」が行われますが、どちらも野木神社の神事に付随するもので、神官行列の帰社(お帰り)を待つ人々が、寒さをしのぐために始めた提灯の揉み合いが起源といわれています。
野木神社は参道がとても長いのが特色です。一の鳥居から本殿までの距離は長く、全く見えません。
ようやく、二の鳥居が見えてきました。
ようやく三の鳥居と本殿が見えてきました。
本殿社屋です。
野木神社のいちょうは、とちぎ名木百選の一つになっていました。
宿場を北に進むと道標があります。
この付近に本陣があったようです。
宿場の北端に野木神社の別当寺である万願寺があります。宿場内に寺院がなく、供養等に不自由だったため、1616年(元和2年)に建立されました。
十九夜塔があります。十九夜塔とは、旧暦19日に行われる十九夜講中(仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事)を記念して建てられた塔です。十九夜講のほとんどは女人講、念仏購で、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉などに分布しているようです。
満願寺の裏手に、「この奥野木城跡」の標識板があります。
しかし、石垣など跡地らしいものはありませんでした。
付近は「野木水辺の学校」という施設になっていて、蛍が見えるようです。
一里塚は、民家の庭にうずもれてしまっていました。
この一里塚跡から日光街道を離れて、駅への近道富士見通りを進みます。すると、あたり一面ひまわり畑に出ます。約4haの敷地に30万本以上のひまわりが咲き誇っており、7月下旬に「ひまわりフェスティバル」が開催されます。開催されてから随分時間が経っており、一部は枯れていましたが、まだ多くの方が訪れていました。
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