日光街道最後の宿場・鉢石宿(日光):日光街道宿場巡り㉔
日光街道の終点は日光坊中ですが、日光の宿場町は鉢石(はついし)宿と呼ばれています。もともと鉢石村という村落がありましたが、1617年(元和3年)に徳川家康を日光山に祀り日光参詣が盛んとなると日光東照宮の門前町として大いに栄えるようになりました。現在のJR日光駅の辺りに鉢石宿の木戸があったとされています。鉢石町という町名が現在も残っています。
畠山重忠の末子重慶の庵が起源といわれている龍蔵寺。鎌倉幕府に謀反を企てたと誤解され首を斬られた重慶を弔うために寺が建てられました。
宿場の起源となった鉢石。「鉢を伏せたような形状」が名の起こりで、地名の由来にもなっています。直径2mほどの石で、日光山開祖・勝道上人が托鉢の途中、この石に座って日光山を仰いだと伝わっています。日光開山以来、旅人の道標となってきました。
場所は、鉢石町にある吉田屋羊羹店の隣にある日本生命の裏手にあります。なお、日本生命の看板が無くなっていました。移転もしくは廃止されてしまったのでしょうか。同社のホームページに何も出ていません。
徳川家に仕え、徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍を補佐した天海上人像。天海上人は家康に神号の「東照大権現」を送ったことは特に有名です。天海上人は天台宗の本山・比叡山に学んだ密教僧で、天台宗のみならず中国の古い戦いのための占術や神道などについても深い知識を持っていたと云われています。
昔は「山菅の蛇橋」などと呼ばれた神橋。日光二荒山神社の建造物で、奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられました。1636年(寛永13年)に現在のような橋に造り替えられました。神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の参詣者は下流の日光橋を通行していました。日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の一つに数えられ、国重要文化財に指定されています。
神橋を渡ったところが日光坊中となるため、今回は神橋を終点とします。
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