あちこち旅日記

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見どころたくさん深川の街歩き④:江戸文化が残る街

 深川シリーズの最後に、この地に残る江戸から昭和初期までの文化財を紹介します。


江戸風情が感じられる公衆トイレ
 霊巌寺近くのトイレ

 萬年橋近くのトイレ。


清州寮
 清洲通り沿いに建つ1933年に建てられた鉄筋コンクリート造4階建、総戸数66戸の集合住宅です。. 入居希望者が多く、なかなか空き部屋が出ないことで有名なようです。



萬年橋
 小名木川が隅田川に合流する地点にかかる橋です。北斎「富嶽三十六景」にも描かれています。

 同じ場所の現在ですが、当時の面影はあまり感じられません。

 釣り人が針を垂れているのは現在も変わりません。


本誓寺
 小田原本誓寺六世の文賀が1595年(文禄4年)八重洲河岸に寺地を拝顔して創建、太田康資(太田道灌の四代の孫)娘英勝院が開基となりました。1606年(慶長11年)馬喰町上町へ、1682年(天和2年)当地に移転してきました。

臨川寺
 「玄武仏碑」をはじめ、「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」などの石碑が残され芭蕉ゆかりの寺として知られています。1653年(承応2年)、鹿島根本寺の冷山和尚が草庵を結んだことに始まります。1680年(延宝8年)深川に移り住んだ松尾芭蕉は二歳年上の仏頂禅師の人柄に感服し、足繁く参禅するようになりました。

 臨川寺の境内に「芭蕉由緒の碑」と「墨直しの碑」があります。


霊巌寺
 1624年(寛永元年)に日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島(現在の東京都中央区新川)に創建されましたが、1657年(明暦3年)、江戸の大半を焼失した明暦の大火により延焼。1658年(万治元年)に徳川幕府の火事対策を重視した都市改造計画の一環として、現在地に移転してきました。寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多く存在し、境内には江戸六地蔵の第5番が安置されている。幕末には江戸の7大火葬場(荼毘所)のひとつされていました。

 山門は新築工事中でした。

 霊巌寺の移転の際、霊巌島から一緒に移転してきたのが長専寺です。1928年(昭和3年)に出世不動尊で有名な不動寺を合併し、以来、深川の出世不動尊として親しまれています。


深川稲荷神社
 布袋尊がまつられており、1630年(寛永7年)に創立された創立の古い神社です。この神社は、無住社で、町会によって管理運営されています。

(ご参考)清澄白河駅前にある地図

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