氷川神社(さいたま市大宮区):武蔵国一の宮論争①
以前、東京都府中市にある武蔵国六所宮の大國魂神社について報告させていただきましたが、武蔵国一の宮を、東京都多摩市の小野神社とする説と、さいたま市大宮区の氷川神社とする説の2つがあります。
一の宮は、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社を指しますが、原則としては各令制国1社ずつになっています。しかし、「一の宮」であることを主張する神社が複数ある地域があります。ちなみに、令制国の数が67であったのに対して、「全国一の宮会」に加盟する神社の数は57社となっていますが、非加盟社も多く、同じ地域で複数の神社が加盟しているケースもあります。
武蔵国では、さいたま市にある氷川神社と、氷川女體神社が全国一の宮会に加盟していますが、六所宮である大國魂神社の公式見解では、小野神社が一の宮で、氷川神社は三の宮となっています。
様々な書物によると、中世までは小野神社が一の宮とされていましたが、平安時代に氷川神社と地位が逆転したとの説が今日では有力なようです。また、氷川神社の祭神が須佐之男命で、氷川女體神社の祭神がその妻の奇稲田姫命であることから、2社を一体として一の宮とする説もあるようです。
今回から三回にわたり、武蔵国一の宮を比較してみることにします。今回は第1回目の氷川神社(さいたま市大宮区)です。
氷川神社は東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社で、他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれています。氷川信仰とは、スサノオに対する神道の信仰の一つで、氷川神社は農業用水として役割が大きい半面氾濫を起こす暴れ川・荒川の本支流域に多く、ヤマトタケルの東征経路や、8世紀に出雲族出身の无邪志国造が開拓したと伝えられる地域と一致した分布を示しています。氷川という名も出雲国の簸川(ひかわ、現在の斐伊川)に由来するとされています。
旧社格は官幣大社で、祭祀に際して天皇により勅使が遣わされる勅祭社であり、神社本庁では別表神社に定めています。
氷川神社はまた、日本一参道の長い神社として知られています。さいたま副都心駅近くで参道が旧中山道と別れる地点にある一の鳥居から本殿までは2㎞以上あり、敷地はおよそ3万坪と広大です。一の鳥居どころか二の鳥居も境内図に出ていないほどです。
参道は、大宮駅東口から伸びる大宮中央通りと交わる場所から公園になり、平成ひろばと呼ばれています。排気ガス汚染に強いケヤキを中心にした並木に覆われています。
参道が県道2号さいたま春日部線(旧国道16号、岩槻新道)と交差するあたりに「二の鳥居」があります。
氷川神社行幸絵巻
ようやく「三の鳥居」をくぐります。ここからが境内です。
旧帝国海軍最後の戦艦「武蔵」の碑。武蔵に艦内神社として武蔵一宮氷川神社が勧請されていました。沈没より71年後の2015年(平成27年)に顕彰碑が境内に建立されました。
地元サッカーチームの大宮アルディージャの選手による必勝祈願の寄せ書き。
奉納された埼玉県の名酒。
神池にかかる橋をわたると
手水舎と
楼門があります。
舞殿
拝殿
横から中を覗いてしまいました。
初詣に備えて、賽銭箱の上にテントがつくられていました。
本殿
神札授与所
境内には多くの境内社があります。
神池の中島にある宗像神社
御嶽神社
まさに官幣大社、一の宮にふさわしい格式高い神社でした。
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