東海道宿場巡り③:平塚宿(上)
大磯宿を出ると、江戸から7番目の宿場町・平塚に入ります。
大磯町との境がちょうど平塚宿の入口に当たります。
ここは京方見附と呼ばれています。
国道一号線は、ここから新道と旧街道に分かれます。バス路線は旧街道を通っていますが、就労時間制限の強化(いわゆる「2024年問題」)のために、ドライバー不足のために一部路線が廃止になっています。利用者不足(需要不足)ではなく、人手不足(供給不足)が経済の大きな足かせになってきている象徴でもあります。
平塚宿には、当時の遺構はほとんど残っていません。
問屋場跡地
現在は消防団になっています。
本陣旧跡。
脇本陣跡
幕府や藩主の法令が掲示されていた高札場跡
江戸見附。ここが宿場の東の終点になります。
ここから先は、賑やかな中心部の商店街になります。
街道を少し外れると「お菊塚」があります。怪談「番町皿屋敷」の主人公として有名なお菊の墓と伝えられています。
伝承によるとお菊は平塚宿の宿役人眞壁源右衛門の娘で、江戸の旗本青山主膳の屋敷へ行儀見習い奉公に出ていました。ある日主膳の屋敷内でお菊は主人愛玩の南京絵皿十枚組のうち一枚を無くしてしまい、主人の怒りを買い、お菊は屋敷内の井戸に投げ込まれて殺されてしまいました。お菊の遺体は引き上げられ、罪人の例に倣って長持に詰められて江戸から平塚宿まで送り返されてきたというものです。お菊の遺骸は平塚宿内の眞壁家先祖代々の墓地(70坪強)に葬られましたが、これも罪人の例に倣って墓石は建立されませんした。旧眞壁家墓地跡は整理されて平塚駅西口(北側)近くの紅谷町公園の一部になっており、「お菊塚」は平塚市が建立したものです。
真説によるとお菊は皿を無くしておらず、奉公先で言い寄って来た家来を突っぱねたので、この男に皿を隠され、無実の罪で責めを受け悲しい最期を迎えたそうです。
その後、青山主膳の屋敷のお菊が投げ込まれた井戸には怨みを抱いたお菊の霊魂が留まり、幽霊となって夜な夜な井戸より現れたという噂がモチーフとなって怪談番町皿屋敷が生まれたとされています。
さらに東に進むと平塚駅北口に出ます。
この続き(平塚宿続編)は4月6日(土)に投稿する予定です。
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