あちこち旅日記

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台湾桃園神社に行けばわかる台湾人の日本への思い:JGCプレミア最後の旅㉖

 今回の旅最終日の朝は、台湾・桃園で迎えました。この日は午後の便で帰国の予定ですが、午前中からお昼すぎまでフルに観光に使えます。この日は朝早く起きて、日本統治時代の建物や鳥居がよく保存されているとされる桃園神社(現在は、中華民国の戦没者を祀る桃園県忠烈祠になっています)に行ってみることにしました。


 戦前の日本では、神社は国家管理下にあり、国や地方政府からの財政からも資金が拠出されていました。日清戦争で日本が勝利し、台湾が割譲されると、日本政府は台湾に神社の建設を進めました。終戦直前までに68社の官立神社が建てられ、このうち台北にあった台湾神宮(現在の円山大飯店)は最も位の高い 官幣大社に指定されていました。




 しかし、日本が敗戦し、台湾から撤収すると神社は次々に廃止され、忠烈祠などに代わっていきました。また、1931年に花蓮県の新城に建てられた新城神社のように、キリスト教の教会(新城天主堂)となり、鳥居や狛犬がある珍しいキリスト教会となっているものもあります。



 さらに、日中国交正常化に伴い、日本が台湾(中華民国)と断交すると、台湾では反日機運が高まり、神社の建物や鳥居などの施設の破壊が一層進んでいきました。


 しかし、近年では日本統治時代の歴史的遺産を残そうという機運が台湾で高まってきており、神社もその一つになっています。桃園神社(旧社格は県社)はなかでも住民の皆さんの熱心な保護活動もあり、当時の鳥居や建物がほぼ完全な形で保存されているところとして有名です。


 2022年には鳥取神社 (釧路市)から天照大神などの分霊3体が勧請されましたが、批判が出たため翌2023年に分霊は日本へ奉遷されてしまい、「神様強制送還事件」としてニュースにもなりました。神社の保護については、親日家の多い内省人を支持基盤とする民進党と、外省人を支持基盤とする国民党との間の政争の道具と化している感もあります。現在の桃園市長は2022年12月に就任した国民党員ですが、民進党市議団は、国民党市長がイデオロギーを理由に桃園市の観光発展を妨げていると批判しています。


 さて、桃園神社にはバスの便もありますが、乗り場が分からず、行きはタクシーを利用しました。朝の通勤時間帯だったので時間は30分近く要してしまいました。バスの本数は少なくないのですが、発着するのが駅の裏口でわかりにくく、路線も複雑です。往路はタクシーを利用し、バスの利用は帰路にするのがおすすめです。また、神社に隣接して大きな病院があるので、帰路のタクシーも簡単につかまります。

鳥居

 案内版は、中国語、日本語、英語表記ですが、鳥居をTorii、参道をSandoとするなど英語版での読み方は日本語読みになっています。

 手水舎も残っています。

 灯篭

銅馬と狛犬

 奥にあるのが拝殿です。

 神社と社務所が一緒になっています。

 祈願所。絵馬がかけれらています。

 日本語で書かれた絵馬もたくさんあります(書いたのは台湾の方です)。日本への留学や就職祈願のほか、イベント参加の祈願などもあります。

 台湾の方の親日ぶりが改めて感じられた場所でした。

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