あちこち旅日記

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「ペーナ宮殿」とポルトガル史:2022年世界一周記(その15)

 リスボンから電車で40分の場所にあるシントラは、建造物を含めた街の景観自体が、「シントラの文化的景観」として世界遺産に認定されています。


 主なみどころとしては
・王宮
・ペーナ宮殿
・レガレイラ宮殿
・ムーアの城壁
があります。


ペーナ宮殿


 また、シントラからバスで行けるユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪ねる観光客も多いようです。全て1日で回るのは難しく(特にムーアの城壁は坂道を30分ほど歩かないといけなませんが、老体には結構つらいです)、この日はペーナ宮殿、王宮、ロカ岬、に絞ることにしました。


 まず、シントラでバスを運行しているScotturb社のフリーチケットを購入します。リスボンからシントラへの往復鉄道とバスがフリーになったチケットもあり、これを利用して日帰りで来ることもできますが、かなり朝早くリスボンを出る必要もある(帰りも遅くなる)ことから、私はシントラに泊まりました。




 Scotturb社の営業所は駅前にあり9:00オープンです。寄っていては9:00始発のバスに間に合わないため、駅前のバス停に停まっているバスの運転手さんから直接購入しました(クレジットカード可ですが、カードがうまく読み取れなかったので、面倒なのでキャッシュ払いしました)。料金は11.5ユーロで、主要な見どころを回る434番やロカ岬に行く403番にフリーで乗れます(コロナ禍前よりも少し安くなっていたみたいです)。チケットのようなものはなく、このパンフとレシート見せれば何度でも乗れました。


 始発バスはほぼ満席でした。出発時には立ち席の方もいました。

 最初に向かったのはペーナ宮殿です。シントラの入場施設では一番人気があり、入場券を買うのに長蛇の列になると聞いていたので、一番に行きました。入口の自動販売機で入場券を買いますが、10:00の入場券は既に売り切れており(団体客が買い占めていたようです)、10:30で買えました。

 入場料は14ユーロですが、チケット売り場から宮殿までは500メートルほど坂道を歩く必要があります。シャトルバスがあり往復3ユーロ追加でかかりますが、これを利用しました(合計17ユーロ)。ムーアの城壁とのセット入場券も売られています。

 バスは電気自動車でした。小型のためすし詰め状態になりますが、オープンルーフになっており、風通しはよかったです。

 宮殿に着きました。ものすごい人です。もう、完全にアフターコロナになっています。大半はマスクをしていません。

 結構高いところにあります。

 ポセイドンが気張っています。

 すごい形相。

1

 ペーナ宮殿は、ポルトガル女王のマリア2世(注)の王配で、共同統治王だったフェルナンド2世によって、荒廃した修道院の跡地に19世紀に建てられました。王室の別荘のような位置づけですが、フェルナンド2世はここをたいそう気に入り、生涯の大半を過ごしたといわれています。


フェルナンド2世は、ドイツのノイシュバインシュタイン城を建てたルードヴィッヒ2世のいとこに当たり、2つの建物はよく比較されます(実際にペーナ宮殿の建設に当たり、ドイツから設計技師を呼んだとのことです)。


(注)マリア2世(教育王)は、ポルトガルがナポレオン軍に支配されていた1819年に王族の疎開先であり遷都先であったブラジル・リオデジャネイロで生まれました。ポルトガル軍がナポレオン軍後にポルトガルを支配していたイギリスを追い出した後、1821年に当時の国王(マリア2世の祖父)であったジョアン6世はポルトガルに帰還します。しかし、当時のポルトガルは革命軍が主導し立憲君主制の構築を図っており、ブラジルも本国と対立を深めていました。1821年にポルトガル議会が、マリア2世の父であり当時王子であったペドロ1世に帰国を求めますが、ペドロ1世をブラジル側が離さず、ペドロ1世はブラジル皇帝として1822年に独立を宣言します。その後、1826年にジョアン6世が死去すると、ペドロ1世は当時7歳であったマリア2世をポルトガル国王として即位させました。その後、マリア2世は婚約者でもあった叔父のミゲル1世(ペドロ1世の弟)に一時統治権を奪われ、ポルトガルは内戦状態に陥りますが、ブラジル皇帝の地位を息子に譲り参戦したペドロ1世が勝利し、マリア2世は1834年に議会から国王権力が正式に認められました。マリア2世は最初の夫であるロイヒテンベルク公アウグストと1835年に死別し、翌1836年にフェルナンド2世と再婚しました。


フェルナンド2世の胸像です。


 これは侍女の部屋です。

 これは王妃のティールーム。

 電話部屋もありました。

 ペーナ宮殿の実質的な最後の主だったカルロス1世(マリア2世とフェルナンド2世の孫)と王妃のマリア・ピアの肖像画。 カルロス1世は1908年に暗殺されたことから「殉難王」と呼ばれています。

 世界でも在位が一番短ったとされる、カルロス1世の長男、ルイス・フェリペ(当時王太子)の肖像画。1908年にカルロス1世が殺害された際に同時に襲撃を受けましたが、カルロス1世よりも2時間長く生きていたため、王位を継承したとみなされています。数日後、負傷しながらも生き延びた弟のマヌエル2世が即位しますが、2年後の1910年、ポルトガルの共和制発足・王政廃止によりロンドンに亡命し、ブラガンサ朝は滅びました。マヌエル2世はポルトガルの最後の国王となりました。


 キッチン。


今回かかった費用 
1日バスフリーチケット 11.5ユーロ(1,690円)
入場料+バス 17ユーロ(2,503円)
   
これまでの累計額     48,199円


ここまでの累計額     52,392円


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