キャンプレスターの米兵ファミリーは上品そうだった:日本の中の外国⑨
港川ステイツザイドタウンでの昼食は美味しかったのですが、当初の目的は素行の悪そうな米兵を見に行くことでした。このままでは、何のために沖縄に来たのかわかりません。そこで再びバスに乗って普天間基地を訪ねようとしましたが、ぼけっとしていて通りすぎてしまい、北谷町のキャンプ・レスター(キャンプ桑江)まで来てしまいました。
キャンプ・レスターは軍人やその家族の住宅地として使用されている専用地域です。1977 年より米海兵隊の管理下にあります 。1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告により、大部分の返還が合意されたことを受け、キャンプ・レスター内に北谷町の庁舎が建設され、2003年に北谷町庁舎の土地を含む施設の北側部分が返還されました。2025年以降には南側部分の返還も予定されています。
過去にはアジア最大級の米海軍病院が置かれ (2013年に海軍病院はキャンプ瑞慶覧に移転) 、何か米軍関連の事件や事故があればこの病院に搬送されていました。そのほかに、中学校や住宅地区、また国道58号沿いに、野球場、サッカー場、テニスコートなどの遊興施設がそろっています。2019年4月には近くのアパートで住人の日本人女性が元交際相手の米兵に刃物で刺されて死亡する事件が起き、地元での反基地感情が高まりました。
最近では、基地内からの海兵隊員のボランティアが地元の学校、孤児院、老人ホームなどを訪ねたり、基地内のフリーマーケットやフェスティバルなどで住民を招待し友好関係を築くなど米軍側も努力を始めています。
なお、現在フリーマーケットが開催されているのは、キャンプレスターの南に隣接するキャンプフォスターで、毎月第一土日のみとなっています。このフリーマーケット以外の日にキャンプに立ち入るにはパスが必要になります。この日は、キャンプレスター周辺のエリアを雨の中散歩してみました。
キャンプレスターの入口です。
近くには、ドル建てで表示している中古車展示場、両替店などがあり、米軍関係者の生活反応が感じられます。
海の方に向かうと、美浜アメリカンビレッジがあります。かつて、キャンプ・フォスターに属するハンビー飛行場がこの地の南側にあり、1981年(昭和56年)に返還された後に飛行場跡地北側に隣接する海岸で新たに埋め立て地が造成されました。この埋め立て地部分に建設されたのが、北谷町運動公園とアメリカンビレッジです。
街全体がアメリカンな雰囲気で統一され、カラフルな建物や可愛いウォールアートなどフォトスポットがたくさんあります。この日はあいにくの天候で、修学旅行生がつまらなそうにお買い物していました。
88ステーキという沖縄の有名なステーキレストランのチェーン店だと思ったら、よく見たら「BBステーキ」でした。中国だけでなくセコいパクリ店は、どこにでもあるですね。
沖縄旅行では、那覇よりもここのホテルに泊まった方が楽しいかもしれません。
バスケットボールのFIBAワールド・カップが今年開催されますが、沖縄は共同開催地になっています。沖縄市の沖縄アリーナが会場になっています。
ここは、よく「逃走中」の収録によく使われます。今にも黒のスーツにサングラスのハンターが出てきそうです。
北谷公園サンセットビーチ.が隣接しています。天気がよければもっと楽しめそうです。
「あー、ここも観光地で不良米兵などいないなあ」とがっかりして、雨がひどくなる中スターバックスで雨宿りしていました。すると観光客でない、地元在住の米国人ファミリーが次々と入ってきました。どうやら米兵ファミリーのようです。アメリカンビレッジだけでなく、国道58線沿いにもスターバックスの店舗がありましたが、ここにも米国人客が結構いました。皆さん品があり、素行が悪そうに見えなかったのが残念?でしたが・・・。
翌日重要な仕事が入ってしまい、この日は日帰りになってしまいました。当初予定では、国際通りでお土産買い、ステーキ食べてくることにしていましたが、ますます雨がひどくなってきました。お土産は空港で買い、ダイヤモンド・プレミアラウンジでゆっくりビールいただくことにし、バスで空港に向かいました。
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