あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

やっちゃ場と酒合戦の故事:東京観光の穴場・北千住②

 前回、北千住にある松尾芭蕉の奥の細道の「矢立初めの地」について報告しましたが、千住は江戸時代には日光街道(宇都宮までは奥州街道を兼ねていました)の最初の宿場町であるとともに、水戸街道への分岐点でもありました。


 現在の日光街道は国道4号線が現在の日光街道になっています。隅田川にかかる千住大橋をわたったところにある足立市場のところで、旧街道と新街道が分かれます。

 足立市場では、一般向けに市場を開放する「あだち市場の日」があり、奇数月の第2土曜日(1月は第3土曜日)に開催されています。普段の日も食堂は利用できます。この日は日曜日の午後でしたので、すし店しか開いていませんでした。普段も通常の営業時間(早朝から午前10時頃まで)に一般の方も買物をすることは可能ですが、卸売がメインのため一定量以下の販売には対応していないことがあるようです。別の機会に行ってみますので、その時また報告します。

 旧街道には前回紹介した松尾芭蕉の像と歌碑があります。

 柵の左側に道標があります。

 このまま北上します。「旧日光道中」の碑があります。

 このあたりは、かつて青物問屋街があり、「やっちゃ場」と呼ばれていました。足立市場がここに作られたのもその名残といわれています。ただし、足立市場では現在は青果物の取引は行われておらず、水産物の取引が主体となっています。

 江戸期の蔵を移築した歴史プチテラスが開放されています。

 中には古い資料や地図があり、いろいろと質問に答えていただけます。

 

 浄土宗稲荷山勝林院源長寺。1598年(慶長3年)この地に住み開拓した石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしたね)により、1610年(同15年)に一族の菩提寺として開かれた寺院です。千住大橋架橋等に尽くした郡代伊奈備前守忠次を敬慕してそのその法名にちなむ寺号を付して開基としたとされています。

 
 問屋場・貫目改所跡地。かつてこの付近にあったとみられる飛脚問屋・中屋で1815年(文化12年)隠居の六右衛門(中六)の還暦祝いに酒合戦を催されたと伝えられています。


 この酒合戦には文人や旅人まで100名以上が参加して、2組に分かれて左右交互に登場して飲み干すという趣向で、盛大な盛り上がりを見せたそうです。野州小山の左兵衛という者が緑毛亀杯3杯(7升5合、約13.5リットル)を飲み干したという記録のほか、会津の浪人河田某が厳島杯(5合)から緑毛亀杯(2升5号)まで6升2合(約11リットル)を飲んだものの、人の止めにより丹頂鶴杯(3升)を割愛したのをなげいたとも伝えられています。また、女性の参加者もいたようで、「天満屋五郎左衛門の妻、万寿無量杯(1升5合、2.7リットル)を傾け酔った色がない」との記録があります。また、酌取の女(おいく、おぶん)も鎌倉杯(7号)、江島杯(1升)などで終日飲んでいたと伝えられています。


 この酒合戦の勧進元を引き受けたのは、中六の吞み友達だった坂川利右衛門(青物問屋本坂川屋)であったと伝えられています。坂川屋は歴史プチテラスの近くにあった模様です。


 酒合戦を描いた春画が残っています。


あちこち旅日記 - にほんブログ村


 参考になったら、「プロフィール」のバナーをクリックお願いします。過去の記事リストがあります。シリーズ通してご覧いただければ嬉しいです。

×

非ログインユーザーとして返信する