あちこち旅日記

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江戸4宿の一つ千住宿:東京観光の穴場・北千住③

 前回は、千住の青物問屋街(やっちゃば)を訪ねましたが、北千住に近づくと、旧日光街道は賑やかな商店街となります。千住ほんちょう商店街という名前ですが、駅から伸びる「きたロード1010」を越えると「宿場通り商店街」に名称が変わります。


 冨嶽三十六景武州千住


 宿場通り商店街を入ったところには、本陣跡があります。現在はマンションになっています。

 もう少し進むと案内所があり、親切にいろいろと教えていただけます。

 さらに先に進むと「サンロード宿場通り商店街」に名称が変わります。

 古民家や古商家も残っています。



 江戸時代から接骨院として名を馳せ、遠方から訪れる骨折患者も多かった名倉医院の本院。「名倉」の名の付く整形外科、整骨院、接骨院は全国に265軒あり、「名倉」の名前は骨接ぎの代名詞として広く知られています。私も、寝ぼけて暗闇でソファの足を蹴って亀裂骨折した際に、分家である日本橋名倉医院でお世話になりました、



 そのまま進むと、荒川の土手に達します。荒川は利根川水系の川ですが、文字の通り、過去に幾度となく荒れ、地域に水害をもたらしてきました。このため、荒川のうち、岩淵水門(東京都北区にある荒川と隅田川とを仕切る水門)から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで全長22 kmの人工河川(荒川放水路)が1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)にかけて、17年かけて開削されました。

 「荒川放水路」は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされ、それに伴い岩淵水門より分かれる旧荒川全体が「隅田川」となりました。それまでは現在の千住大橋付近までが荒川、それより下流域が隅田川と区別されていました。


 次回は荒川土手を歩いていきます。すると、かつての人気テレビドラマで見た光景がありました。


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