草加せんべいの起源と今:日光街道宿場巡り②
草加は「草加せんべい」の発祥地としても有名です。農林水産省が管轄する(財)食品産業センターが認定する地域食品ブランド表示基準では、次の基準を定めています。
製造地:草加・八潮・川口・越谷・鳩ケ谷で製造
材料:関東近県で収穫された良質のうるち米
製造:最低10年の経験を持つ職人が製造を管理
焼き方:押し瓦での型焼き又は押し瓦方式を取り入れた堅焼き
草加せんべいのルーツについては諸説ありますが、最も有名なものが「おせんさん」のエピソードです。草加市役所のホームページには以下のエピソードが紹介されています。
草加が日光街道の宿場町として栄えた頃、おせんさんという女性が街道で旅人相手の茶屋で団子を売っていましたが、この団子はたまに売れ残ってしまうこともありました。団子は日持ちがしません。おせんさんはこの団子を捨ててしまうのはもったいないと悩んでいました。ある日茶屋の前を通りかかったお侍さんに「団子を平につぶして天日で乾かし、焼き餅として売る」というアイデアをもらいました。おせんさんが早速焼き餅を作って売り出したところ、たちまち評判となりその焼き餅は街道の名物になったという話が語り継がれています。
なお、草加駅前にはおせんさんの像があるそうですが、この日は見つけられませんでした。
しかし、この話は昭和に入ってから作られたものだそうです。
草加は昔から米どころと言われ、多くの米がとれたことから、農家の人たちは余った米を保存するために団子状にした米を乾かしたものを保存食として作っていました。江戸時代になり、草加宿ができると、茶屋や物売りが軒を並べるようになりました。このころから保存食だった煎餅も店で売られるようになり、広まっていったと考えられています。
認知度が高くなっていったのは大正時代以降で、そのきっかけは当時川越で行われた特別大演習で、「煎餅」が埼玉の名産品として大正天皇に献上されたことでした。「天皇家が召し上がったおいしい草加の煎餅=草加せんべい」として名称が広がっていき、このころから煎餅づくりは地場産業として発達していきました。
草加せんべいのお店は、日光街道沿いを中心に市内に点在しています。
元祖源経兵衛せんべい。ばら売りもしているようです。
サラメせんべいを購入しました(700円)。
次に、1901年(明治34年)創業の老舗の志免屋。
予約不要の手焼き体験ができます。
この日はごませんべいを買って帰りました(600円)。
草加市文化会館には草加せんべいの展示があります。
このほか、市内には学校などの団体を受け入れている大規模なメーカーさんもあるようです。
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