灼熱の都心で涼を求めて庭園へ①:占春園(文京区)
猛暑で毎日ヘロヘロになっています。都心部はヒートアイランド現象でまさに灼熱地獄です。こんな時には、緑豊かな庭園がお勧めです。ということで、今回からシリーズで都心の庭園を紹介していきます(週1回のペースでご紹介するのを目標に取材していきます)。
今回は第1回目として、文京区大塚にある占春園を紹介します。占春園は「水戸黄門」こと徳川光圀の弟・松平頼元の屋敷にあった庭園で、筑波大学東京キャンパスの敷地内にあります。筑波大附属小学校が管理し、自然観察の場として使用されているほか、一般にも開放されています。江戸時代には青山の池田邸、溜池の黒田邸とともに、江戸の三名園と称されました。
手入れが行き届きすぎず、都心であることが信じられないような自然が残されています。
筑波大附属小学校の教材園や、
マラソンコースとしても使われています。
場所は、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅のすぐ近くです。駅を降りて春日通りわたると筑波大学があります。
そもそも、なぜ筑波大学が東京都心にあるのでしょうか。筑波大学の母体となったのは、1886年に日本初の中等教員養成機関とし設立された「高等師範学校」です。1929年4月、東京高師の大学昇格運動の結果、旧制大学たる東京文理科大学が設立されるとその附置機関となりました。修業年限3年(本科)で学科としては文科・理科・体育科が設置され、附属学校として附属小学校・附属中学校なども附設され、広島・金沢・岡崎と並ぶ官立4高師の一つでした。
設立当初から「教育の総本山」と称され、また長期にわたり校長を務めた嘉納治五郎の下で日本の学生スポーツ濫觴の場となったことでも知られています。
戦後の学制改革により1949年に新制東京教育大学が発足すると、旧制東京文理科大学および旧制専門学校たる旧制東京農業教育専門学校・旧制東京体育専門学校とともに同大学に包括されてその教育学部などの構成母体となりました。その後、1973年(昭和48年)に筑波大学に改組され現在に至っています。
ちなみに、近くにはお茶の水女子大があります。同学は1875年に開校した官立の「東京女子師範学校」を起源としています。1885年に東京師範学校と合併し、同学の女子部となりましたが、1890年に分離し女子高等師範学校となりました。第二次世界大戦後の1950年には、国立学校設置法により新制大学「お茶の水女子大学」となり、現在に至ります。
こうした歴史を背景に、近隣には筑波大の附属小中高等学校、お茶の水女子大の附属小中高等学校があります。このほか、東京府立の東京府師範学校や東京府女子師範学校を起源とする東京学芸大学の附属竹早小中学校もあり、お受験のために近隣に引っ越してくる方も少なくないようです。
筑波大学東京キャンパスの周辺は、文京区立教育の森公園になっています。
占春園には2つの行き方があります。北西ルートを行くと、
1931(昭和6年)10月30日に行われた東京高等師範学校創立60周年記念式典に昭和天皇が出席したことを記念して建てられた行幸記念碑が目印になります。
小さな木製の門があります。
南東側から、湯立坂を下って行くルートもあります。戦後の区画整備を免れたので緩やかなS字カーブは風情があります。
途中に、実業家の磯野敬が建てた近代和風住宅の銅御殿があります。主屋の屋根と外壁に銅板が張り巡らされている外観から「銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれており、明治末から大正初期にかけての和風建築の粋を凝らした技術の高い建築物です。国指定重要文化財になっています。
近隣の方の憩いの場である窪町東公園をすぎると、
水車小屋があります。ここからも占春園に入れます。
4月から9月の期間は、8時~19時まで開放されており、入場無料です。
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