利根川を渡って川向いの中田宿へ:日光街道宿場巡り⑨
今回は、日光街道8番目の宿場・中田宿です。
前回報告した栗橋宿とは利根川をはさんで川向いにあり、現在の区画は茨城県古河市になります。茨城県というと常磐への経路という印象が強いのですが、日光街道(奥州街道)もJRの東北本線もわずかに古河市をかすめています。
中田宿への最寄り駅はJR・東武鉄道の栗橋駅もしくは、JR古河駅になりますが、両駅を結ぶ足は古河市のコミュニティバスしかなく、しかも本数が大変少ないです(しかも週末運休になる便が多数)。この日は、栗橋宿を巡った後、利根川にかかる橋梁を徒歩で渡りました。
川幅が広く、橋は700メートルあります。炎天下で体にかなりこたえます。
橋を渡るとすぐに房川渡中田関所跡があります。前回・栗橋宿でも紹介しましたが、江戸時代には軍事上の目的から利根川には架橋されなかったため、代わりに渡船場が置かれ房川渡しと呼ばれていました。この房川渡しに関所は設けられました。
関所は当初中田側に設けられましたが(1590年・天正18年との記録があります)、1624年(寛永元年)に栗橋に移設されました。
関所を過ぎると、中田宿になります。周辺は都市化が進み、住宅地になっています。
そんな中で、古民家を利用したカフェがあったので、涼んでいきました。
ここは1830年(天保元年)より郵便事業や醤油蔵、酒屋などの商いを営んできた「酒貫」を改装したものです。外観はモダンな感じですが、中にはレトロなアンティークが多く残っています。
この日は冷たいドリンクをいただきましたが、「酵素玄米」を使用したお料理が評判のようです。
敷地内に、中田閘門(水門)の碑があります。かつての宿場町は現在利根川の河川敷となっているところにあった模様で、1912年(大正元年)の利根川改修工事で町の大半が移転したそうです。河川改修工事は1930年(昭和5年)に竣工しましたが、その後も洪水は頻発したため、追加工事が行われ、残った街並みもすべて移転しました。「酒貫」も元は現在の河川敷にあったそうです。
旧日光街道を進むと、鶴峯八幡宮があります。境内社として、倉稲魂命を祭神とする丸山稲荷神社、素戔鳴(すさのお)命を祭神とする八坂神社、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)命を祭神とする浅間神社、武内宿弥(たけうちのすくね)を祭神とする高良神社、源頼朝を祭神とする白旗神社、別雷神(わけのいかづちのかみ)を祭神とする雷電神社、猿田彦(さるたひこ)命を祭神とする道祖琴平神社、水網象(みつはのめ)命を祭神とする水神社などがあり、34神が祀られています。
入口に、中田宿の標識があります。
(出所)国立公文書館所蔵「日光道中絵図」
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