灼熱の都心で涼を求めて庭園へ⑩:旧安田庭園(江東区)
庭園シリーズの第10回目は東京都江東区横網町にある旧安田庭園です。JR総武線および都営大江戸線両国駅が最寄り駅になります。
安田邸庭園は、潮入り回遊式庭園として整備された大名庭園です。かつて池の水には隅田川の水を取り入れており、東京湾の潮の満ち引き利用し、眺めの変化を鑑賞する庭園でした。このような潮入の池をもつ庭園として他に浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園があります。
高度経済成長期に隅田川の水質が悪化してからは、隅田川からの取水は止めており、現在では、園北側の地下貯水槽(貯水量約800トン)を利用した循環浄化装置(ポンプ)を設置し、人工的に潮入が再現されています。
旧安田庭園は江戸時代、本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷の場所にあり、元禄年間に本庄宗資により大名庭園として築造されました。安政年間に隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備され、明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅となりました。
1879年(明治12年)、安田財閥の祖である安田善次郎が本所横網町の旧田安邸を買付し、1884年に本邸を建設。2年後の1886年には南北の隣接地も購入し、さらに 1891年には池田邸を購入。庭園は安田善次郎の所有となりました。旧安田庭園以外の土地は、現在同愛記念病院と安田学園、横網町公園となっています。
1922年(大正11年)、安田善次郎の遺志にもとづいて庭園は東京市に寄贈されました。翌1923年(大正12年)の関東大震災によりほとんど旧態を失ってしまいましたが、東京市が残った地割や石組を基に復元を行い、1927年(昭和2年)、市民の庭園として開園しました。
1967年(昭和42年)には東京都から墨田区に移管され、現在は墨田区が管理しています。
東京都の特別区が管理している都内の庭園の多くは無料開放されていますが、旧安田庭園も同様に無料開放されています。
(出所)墨田区観光協会
園には3つの門がありますが、両国駅から一番近いのが西門です。しかし、閉園時間が一番早いのが難点です。
北門
東門
池の形が「心」の文字に似ていることから「心字池」と呼ばれています。
旗本阿部豊後守忠秋が隅田川氾濫の様子を見に来た際に、馬をつなぎ休憩をした石と伝えられている駒止石。
駒止井戸
駒止石と向かい合うようにある駒止稲荷(図中B)は、当時この辺りに住んでいた人々が旗本阿部豊後守忠秋の徳を敬い、この地に祀りました。
東門横にある心字亭
中はエアコン付きの和室になっていて、自由に休めます。
北門横にある潮入り茶屋
2018年(平成30年)には北門に近い敷地内の両国公会堂跡地に代々木から移転してきた刀剣博物館が開館しています。
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