見どころたくさん深川の街歩き②:大横綱大鵬の街
前回の投稿で、江戸の街並みを再現した深川江戸資料館を紹介しました。この時、通常展示に加えて、昭和の大横綱・大鵬の企画展示も行われていました。
入ると、大鵬の等身大のパネルが置いてあります。
大鵬の現役時代の体格(187㎝、148kg)は、力士の大型化が進んだ現代でもひけをとらないサイズで、一般人から見るとかなりの力強さを感じます。
大鵬の獲得したトロフィーなども展示してありました。幕内優勝32回の優勝(6連覇:2回)は、白鵬(192㎝、155kg、幕内優勝45回)に抜かれるまでは不滅といわれた大記録でした。
大鵬は1940年に当時日本領だったサハリン(現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で生まれています。ウクライナ人の父親を持つハーフで、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコでした。その後、日本人の母親の再婚により住吉 幸喜と改名しました。残念ながら2013年に亡くなられています。
大鵬は1971年(昭和46年)に引退し、一代年寄・大鵬を襲名。十数名の内弟子と花籠部屋所属の12代大嶽親方(元前頭・花光)を引き連れて二所ノ関部屋から分家独立して大鵬部屋を創設しました。
その後大鵬の婿養子である二子山部屋所属の貴闘力(1993年に大鵬の三女と結婚)が2002年(平成14年)9月場所限りで引退し、16代大嶽を襲名。16代大嶽は2003年(平成15年)2月3日付で大鵬部屋に移籍し、2005年(平成17年)5月の大鵬の定年退職に先立ち、2004年(平成16年)1月1日付けで部屋を継承。部屋名称が大嶽部屋に変更されました。
なお、2010年に大相撲野球賭博問題で16代大嶽親方が解雇処分となり、部屋付き親方である12代二子山((元十両・大竜)が17代大嶽を襲名して部屋を継承しています。現在、部屋の正面玄関には縦看板の「大嶽部屋」、横看板の「大鵬道場」の2枚の看板が掲げられています。
通りは「横綱通り」と名付けられています。ちなみに2015年に北の湖親方が急逝し、部屋付きの20代山響親方(元幕内・巌雄)が跡を継ぎ、部屋の名称が山響部屋へと変更されています。標識はまだ「北の湖部屋」のままになっています。悲しいので早く替えて欲しいです。
大嶽部屋・大鵬道場の近くには高田川部屋(師匠は元関脇・安芸乃島)があります。
かつては、近くに尾車部屋もありましたが、師匠の尾車親方〔元大関琴風)の定年に伴い2022年1月に閉鎖され、現在はマンションへの建て替え工事が行われています。琴風の現役時代のガブリ寄りは一見地味ですが、相手の正面から常に腰を低くし寄る技はまさにテクニシャンの一言に尽き、私の推し力士でした。
このほか近隣には錣山部屋(師匠は元関脇・寺尾)があります。これらの部屋は皆二所ノ関一門です。お互いに出稽古を行っているようです。
どの部屋も、玄関に英語の貼り紙がありました。外国人記者や、見学希望の外国人観光客がよく訪ねてきている様子がうかがわれます。
(ご参考)白河清澄駅前にある付近の地図
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