相良城址と牧之原市史料館を訪問してきました
前回、田沼意次の所領だった遠州・相良にある牧之原市史料館を訪問した件を報告させていただきましたが、今回はその続きです。
牧之原市史料館は現在の市役所庁舎に隣接する、相良城本丸跡に建っています。相良城には天守がなく、当時はここには御殿がありましたが、田沼意次の失脚後、取り壊されてしまいました。
中に入ってみます。
田沼意次の肖像画のパネルがあります。当時はイケメンとして有名で、大奥の奥女中たちにモテモテだったそうです。
4年前に行われた田沼意次侯生誕300年記念大会の様子も大きなパネルで紹介されています。
ゆるきゃらの「意次くん」
意次役は俳優の金子貴俊さん。ちょっとイメージ違うんだけど・・。
史料館には米糠の中からビタミンB1を発見した牧之原市出身の鈴木梅太郎博士も紹介されています。
残念ながら、展示室の内部は撮影禁止。田沼意次の生涯や功績が展示されていますが、「汚職老中」との風聞や失脚の経緯など、松平定信派と思われる勢力による陰謀説が紹介されていたのが印象的でした。
意次は領民にも慕われていたようですが、今日でも牧之原市民のヒーローになっていました。
隣接する二の丸跡地は相良小学校になっていますが、二の丸を囲んだ土塁が松林の土台になっています。
相良城の石垣が残る仙台河岸
今回は行けませんでしたが、1283年(弘安6年)に龍峯宏雲(上杉頼重の子、足利尊氏の叔父)によって開山された臨済宗平田寺があります。 戦国時代末期に本堂は焼失してしまいましたが、1786年(天明6年)に田沼意次によって再建されたものです。
ちなみに平田寺では2022年に藤井聡太王位と豊島将之九段による「お~いお茶杯第63期王位戦七番勝負」第5局の対局が行われています。藤井王位が勝利し、タイトル防衛を果たしました。田沼意次は将棋好きとして知られ、自作の詰将棋が残っています(今気がつきましたが、王位戦のスポンサーは「おーい」つながりで伊藤園さんだったのですね)。牧之原市は日本有数の茶所で、おーいお茶の原材料も近くで採れたものを使用しています。
(出所)東京新聞記事(2022年9月2日)に掲載
徳川吉宗時代、財政危機の対策として行われた享保の改革による年貢の引上げで農民が困窮して少子化が進み、倹約の弊害でデフレ下にありました。体系だった経済学など知るすべもない当時に意次がとっていた政策は、信じられないほど先見性のあるものでした。もし意次が今生きていたならばどんな政策を打ち出してくれたのでしょうか。
参考になったら、「プロフィール」のバナーをクリックお願いします。過去の記事リストがあります。シリーズ通してご覧いただければ嬉しいです。