経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である(二宮尊徳)
経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である。
これは江戸時代の経世家、農政家、思想家であった二宮尊徳(たかのり:通称そんとく、幼名は金次郎)が残した有名な言葉です。これは二宮尊徳の生誕地に近い小田原城址の報徳二宮神社にある像の横にある碑文にも書かれています。
相模国栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)に、百姓の長男として生まれた二宮尊徳は、 後に相模小田原藩士、幕臣に取り立てられ、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導したことで知られています。各地の小学校などには、薪を背負いながら本を読んで歩く姿がかつては多くみられました。軍国主義下での戦費調達のための貯蓄教育や勤勉の奨励に、この像が都合よく使われた面もあるかもしれません。
小田原駅前に建っている二宮尊徳の像
小田原駅に隣接するショッピング・モール「ミナカ」にある二宮尊徳夫妻の像。
二宮尊徳の墓は東京・本駒込の吉祥寺にあります。
二宮尊徳の報徳思想とは、二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵であり、至誠(道心にそった心の状態)、勤労(至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくこと)、分度(勤労すること無駄や贅沢を自ずから慎むこと)・推譲(度して残った剰余を他に譲ること)からなります。私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説くものです。
言い換えれば、道徳心に基づいて行動しつつ、贅沢を慎み、所得の余剰を貯蓄・再投資していけば家計の資産は増え、企業も成長していく、と言っていることにほかなりません。報徳思想は、二宮尊徳の成功体験を後世に残したものであると言えます。
もっとも、尊徳が活躍した江戸時代後期には、体系的な経済学など我が国には存在したはずもありません。この点では、報徳思想は、経済学というよりも「思想」の領域を出るものではありません。また、報徳思想は家計や企業経営、地方財政の改革といった立場では有益ではあるものの、国の景気やインフレをコントロールするという現代の政府や中央銀行に適応できるかといえば、限界があり、かえって合成の誤謬という問題を引き起こしてしまうことは否定できません。
それでも、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という二宮尊徳のことばには重みを感じます。残念ながら国会議員や経済評論家と称している方々には、経済学を理解せずに理想論を振りかざすだけで、むしろ逆効果となる政策を打ち出してる方が多く見受けられます。また、経済学を理解していても、経済犯罪を起こす者たちや、私利私欲(=自らの再選)のために国民の利益に反するポピュリズム(大衆迎合主義)に走る政治家たちも少なくありません。
諸外国の大統領や首相には経済学者や民間エコノミスト出身者が少なくありませんが、日本では政治家や官僚は法律家が幅を利かせています。
せめて、日銀の植田総裁や民間出身の審議委員には政府からの独立性を確保しつつ世論のポピュリズムにも流されず、毅然たる政策をとってもらいたいものです。
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