住宅街の中にある鶴巻温泉の歴史は短くも深い
大山から下山した頃には夕暮れが近づいてきていました。他にも寄りたいところがあったのですが、断念して秦野市東部の伊勢原市との境にある鶴巻温泉に寄ってから帰京することにしました。
鶴巻温泉の始まりは、1889年(明治22年)、1914年(大正3年)などの諸説があります。現在では住宅地の中に温泉街が形成されており、温泉街内に住宅地や高層マンション、病院や療養施設が密集しています。温泉街の風情は無縁の様相です。
井戸水が塩分を含んでいること、また渋味が強いことから、飲料水に適さず、また灌漑(かんがい)用水にも使えないので浴用にしたのが温泉の始まりといわれています。鶴巻温泉の効能は、カルシウムが非常に豊富で、神経痛、婦人病、外傷などに効果があるようです。大山への参詣客やハイキング・登山客に多く利用されています。
鶴巻温泉には気軽に利用できる日帰り温泉施設がいくつかあります。その中でも一番大きな施設が丹沢の山小屋をイメージした「石造り」の山湯、秦野の里山をイメージした「ひのき造り」の里湯がある「弘法の里湯」です。営業時間は午前10時から午後9時(最終受付 午後8時)です。露天風呂付き貸切浴室(鶴の湯・予約優先(1日9組限定))もあります。
また、無料で入れる足湯もあります。
また、数は多くないのですが、旅館もいくつかあり、日帰り入浴も受け付けているところもあります。その中の一つに「陣屋」があります。
この「陣屋」は庭園も見事なのですが、温泉としての歴史は短いながらも、大きな歴史の舞台となってきた場所でもあります。
鎌倉時代に当時侍所別当だった和田義盛の陣地の一部であったとされています。
陣屋は1918年(大正7年)には三井財閥の接待所「平塚園」として建てられ、大正時代末期に旅館となりました。
また、陣屋は将棋のタイトル戦が数多く行われている場所としても有名です。1926年(大正15年)に関根金次郎十三世名人が対局場として陣屋を指名して以来、300回を越えると言われています。そのタイトル戦の中には、戦後の将棋界で一大事件となった「陣屋事件」と呼ばれる大騒動がありました。陣屋の前の太鼓の秘密とともに、次回報告します。
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