清澄白河の地名の起源になった松平定信
前回ご紹介した深川江戸資料館の所在地は、江東区白河1丁目で、最寄り駅は地下鉄清澄白河駅です。この白河の名前は、白河藩主であった松平出羽守定信の江戸屋敷がこの地にあったことにちなんでいます。 その松平定信の菩提寺となっているのが、浄土宗霊厳寺です。霊厳寺はもともと芦原を埋め立てて造った霊厳島(現... 続きをみる
乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。
前回ご紹介した深川江戸資料館の所在地は、江東区白河1丁目で、最寄り駅は地下鉄清澄白河駅です。この白河の名前は、白河藩主であった松平出羽守定信の江戸屋敷がこの地にあったことにちなんでいます。 その松平定信の菩提寺となっているのが、浄土宗霊厳寺です。霊厳寺はもともと芦原を埋め立てて造った霊厳島(現... 続きをみる
折角入間まで行ったので駅周辺をいろいろ散歩してきました。 入間には、駅南口から稲荷山公園駅方面に行くと、旧米軍住宅「ジョンソンタウン」があります。こちらは先日入間航空祭に合わせて訪問した記事がありますので、ご参照ください。 米軍住宅の面影を残すジョンソンタウン - あちこち旅日記 今回は駅北... 続きをみる
深谷でのランチは、渋沢栄一の好物であった煮ほうとうをいただきました。 場所は、中の家の隣にある麵屋忠兵衛さんです。 お店は渋沢家の大番頭さんの御住まいだった家を改装したものです。 明治38年(1905年)創業の老舗です。 中の家から直結している門もあります。 店内には渋沢栄一自筆の掛... 続きをみる
渋沢栄一の生家は「中の家(なかんち)」と呼ばれてています。栄一の妹夫妻が明治28年(1895年)に上棟した建物で、栄一が帰郷した際に滞在して寝泊りしいました。その後も渋沢家の住宅として使用されてきましたが、昭和60年(1985年)に学校法人青淵塾渋沢国際学園の施設となり、平成12年(2000年)... 続きをみる
渋沢栄一の生誕地・血洗島の近くに渋沢栄一記念館が建っています。 ちなみに、血洗島の由来としては諸説あるようです。中でも八幡太朗義家の家臣が片腕を切り落とされ、この地で片手を洗ったとの説が有力なようですが、渋沢栄一も「赤城の山霊が他の山霊と戦った際に片腕を拉がれ、その傷口をこの地で洗った」との ... 続きをみる
尾高惇忠の生家がある場所は、江戸時代には下手計(しもてばか)村と呼ばれていました。現在でも、尾高惇忠や渋沢栄一にゆかりのある史跡が残っています。 その一つが、鹿島神社です。旧社格は村社で小さな神社ですが、創建は天慶年間(938-947年)と伝えられる歴史ある神社です。 神木は朽木となってしま... 続きをみる
渋沢栄一と並ぶ深谷の偉人として名が上がるのが、尾高惇忠(1830-1901)です。尾高惇忠は渋沢栄一の従兄であり、論語の師でした。また、渋沢栄一の最初の妻・千代は尾高惇忠の妹であり、惇忠の弟・平九郎は栄一夫婦の養子になっています。 その尾高惇忠の生家が渋沢栄一の生家のすぐ近くに保存されています... 続きをみる
このたび、埼玉県深谷に行ってきました。 深谷というと皆さま何を思い浮かべますか? 駅に着くとすぐに目に入ってくるのが、赤レンガ造りの荘厳な駅舎です。周囲を見回しても赤レンガづくりか、赤レンガ風のタイル張りしたビル、酒蔵の煙突が多く目に入ってくる「赤レンガの街」です。 第二には「日本の資... 続きをみる
週末の土曜日は天気が良かったので、おそらくこの日が東京での桜の見納めと考えて王子にある飛鳥山公園に行ってきました。 飛鳥山公園は徳川吉宗が享保の改革の一環として、庶民が花見ができるところとして整備・造成を行った公園として知られています。 また、都電荒川線(さくらトラム)とのフォトスポットとし... 続きをみる
川越街道の旅では、各宿場を紹介してきましたが、旧川越街道は、起点の板橋宿(平尾宿)では国道17号線を通り、途中から現在の川越街道に当たる国道254号線に移ります。この間、通るのが東武東上線の大山駅周辺の商店街です。 大山は宿場町ではなかったため、以前の板橋宿、上板橋宿の記事で、大山は後日紹介し... 続きをみる
前回、王子について桜と紙にまつわる話を紹介しました。今回は、残る一つ「お札」の紹介です。 王子駅から明治通りを北に3~4分歩くと、国立印刷局王子工場に隣接して「お札と切手の博物館」があります。 ここには、紙幣のできるまで、日本や世界の紙幣の歴史、江戸時代の藩札、明治以降の日銀券、世界... 続きをみる