あちこち旅日記

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川越街道の宿場町④白子宿:古い家屋が保存され宿場町の雰囲気が残る

 現在の埼玉県和光市は、以前も報告した新倉地区と、川越街道の宿場町であった白子地区が合併して1943年に誕生してできた旧大和町を前身としています(旧大和町は1970年の市制を施行する際に和光市に名称変更しています)。今回は、旧白子宿を訪問してみました。




 白子は古代朝鮮系の渡来人が入植したことから、古くは新羅郡と呼ばれていました。白子という地名は新羅から転訛したと考えられています。同じく新羅から転訛したとされる地名には、和光市に近い志木市もあります。


 旧白子宿は、和光市の東端にあり、東京都板橋区成増に接しています。和光市駅よりも成増駅の方がやや近くにあり、徒歩でも10分強ほどの距離で、まさに「ほぼ東京」です。成増については、以前報告しているのでご参考にしてください。




 川越街道沿いにある地下鉄成増駅で下車して、川越街道を下ると新田宿八坂神社があります。



 ここから川越街道をさらに進むと急坂になり、下ると川越街道新道と川越街道旧道に分かれます(左側にニトリのホームセンターがあるあたりです)。付近を白子川が流れており、白子川あたりが東京都板橋区(成増2丁目)と埼玉県和光市(白子2丁目)の境になっています。


 白子川は、東京都練馬区の大泉学園駅近くの大泉井頭公園を水源としています。水源のある大泉井頭公園については以前報告しています。



 この白子川が東京都と埼玉県のほぼ境になっていますが。川越街道より北側では、県境が白子川よりやや東側になります。川にかかる白子橋には地元出身の童謡詩人・清水かつらが作詞した「靴が鳴る」の碑があります。



 旧川越街道を西に進むと、白子郵便局があります。ここを右折すると白子宿道、左折すると大坂通りです。このあたりに古民家が点在し、昔の白子宿の名残を見ることができます。


 特に有名なのが、大坂通りの富澤家で、江戸時代に中宿本陣を務めてた地主です。現在でも富澤家居宅は残っています。旧川越街道沿いには富澤薬局や富澤外科医院などがあり(分家と思われます)、富澤家は今なお残る旧家の一つです。



 ちなみに、少し離れた白子1丁目にも「冨澤家」という蕎麦屋さんがあります。旧家の冨澤家との関係は知識不足・取材不足でわかりません。



 周辺には、冨澤家のほかにもいつくかの古い商家の建物が残っています。


 うち一つは白子囃子保存会連絡所になっています。白子囃子保存会は、和光市指定無形民俗文化財「白子囃子」を現在に伝える活動を行っており、市内のいろいろなお祭りで演奏しているそうです。


 白子郵便局の裏手あたりには、武州熊野神社があります。洞窟めぐりなどもできる神社です。




 神社の北側には滝坂という坂があり、湧き水で有名です。


 東京からすぐ近くに、江戸時代の宿場町の風情が残る街並みが残っているのには感銘を受けました。まだ知名度が低く、観光地化していないところもうれしいです。


 次回は膝折宿の報告です。5月10日を予定しています。


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