東海道宿場巡り②:大磯宿(下)
上方見附をすぎると大磯宿に入りますが、江戸時代の建築物はあまり残っていません。やはり、大磯は明治時代以降の別荘地として繁栄してきたといえます。
わずかに、当時あったことを示す碑が残っているだけです。
御触れ書きを掲示していた高札場。
問屋場跡
本陣跡
当時の面影はほとんど残っていません。
こうした中で数少ない江戸時代からの建築物が鴫立庵(しぎたつあん)です。鴫立庵は京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされています。1664年(寛文4年)、崇雪が草庵を結んだのがはじまりです。
鴫立庵には80以上もの石造物が安置されています。歴代庵主の墓碑が並んでいます。
句碑もたくさんあります。
五智如来像
元禄時代の建造物の円位堂。堂は厚い萱葺の屋根で覆われ、堂内には等身大の西行法師の坐像が安置されています。
蛙のオブジェも。錬金家でもあった原昔人が庵主だった時、親交のあった正岡子規に高さ7センチの置物を贈ったといわれており、これはその置物を1mに復元したものだそうです。
崇雪が建てた鴫立沢の標石の裏に「著盡湘南清絶地」と刻まれているのが、湘南という言葉の始まりといわれています。湘南という言葉はそもそも中国の湘江の南方一帯の景勝地の称であり、これにちなんで、相模国南部、つまり“相南”が湘南と書かれるようになりました。大磯町の各地に「湘南発祥の地」の碑があります。
明治時代の遺跡としては、新島襄終焉の地や、海水浴発祥の地があります。
古商家もいくつか残っています。
江戸見附を過ぎると東海道は国道一号線と別れて再び松並木の道に入ります。化粧(けわい)坂という道は、広重の五十三次にも描かれています。
次回は平塚宿です。3月30日の投稿を予定しています。
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