都電さくらトラム学習院下~都電雑司ヶ谷:ぶらり途中下車でお花見の旅(2)
本日のぶらり旅は学習院下からのスタートです。
ここは何といっても学習院でしょう。停車場を出て並行している明治通り沿いを進むと、頭上を目白通りがまたぎます。千登勢橋を登って目白通りに出ると下が明治通りです。
目白通りを目白駅の方向に進むこと数分で学習院大学があります。
その手前には学習院中高があります。ここで天皇陛下が学ばれたと思うと、威厳を感じます。
再び学習院下停車場に戻りますが、明治通りを使わずに、裏通りを行ってみます。千登勢橋から明治通りには階段を使って降りますが、裏通りには目白通りからそのまま右折するため、停車場まで急坂になります。この坂は「のぞき坂」と呼ばれており、勾配は最大13度で、自動車・原動機付自転車でも変速機の使い方を間違えるとエンストするそうです。
学習院下から再び都電に乗ります。次の停車は鬼子母神前です。
ここは名前の通り、鬼子母神の門前すぐにあります。銀杏並木が名物です。
鬼子母神の正式名称は日蓮宗法明寺です。創建は810年(弘仁1年)で吾妻鏡にも登場し威光寺の名前でした。しかし、1312年(正和1年)に日蓮宗に改宗し、法明寺と改称されたと伝えられたいます。
日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られていますが、近世に入ってからは法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり、鬼子母神が祈祷本尊に位置付けられています。
鬼子母神についての言い伝えでは、鬼子母神(梵名ハーリーティー)は夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ)の妻で、500人の子の母でしたが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていたそうです。
それを見かねた釈迦が、彼女が最も愛していた末子のピンガラを隠してしまい、彼女は半狂乱となり釈迦に助けを求めところ、こどもを失う悲しさを釈迦に諭され、以後、仏法の守護神となり、子供と安産の守り神となったと言い伝えられています。
ちなみに我が家でも妻の安産祈願と息子のお宮参りにここに来ました(神社ではなく仏教寺院でお宮参りというのは考えてみればおかしいのですが、これも神仏融合の名残なのでしょうか)。
参道の入口には派手なトラの像のあるお蕎麦屋さんがあるので、迷うことはありません。
境内には外国人の姿も見かけました。ここもさくらの名所だそうです。
みみずくの像が鬼子母神のシンボルです。隣は公園になっています。
ススキの穂を束ねて作られたみみずくの人形は「すすきみみずく」と呼ばれ、豊島区の郷土玩具になっています。鬼子母神のお告げによって作られるようになったとされており、鬼子母神の参詣みやげとして販売されています。
昔、妻の安産祈願に買ってきた「すすきみみずく」は我が家にもまだ残っていました。息子もお蔭様で大きな病気もせず成人しました。
近くに学問所雑司寮名明哲院という気になる看板を発見。2年ほど前までは講話などを行っていたようですが、現在は、閉まっているようです。
参道には案内所を兼ねているお土産物やさんがあります。
次の停車は、都電雑司ヶ谷です。
ご参考(路線図)
(出所)東京都交通局
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