あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

小江戸川越城下巡り(上):小江戸名所めぐりバスで喜多院を訪問


 川越街道を、板橋から川越まで旅してきましたが、折角なので小江戸川越城下を巡ってきました。見どころが多いので3回に分けて報告します。


 川越城下巡りには、東武バスのフリーチケット(大人400円、子供200円)が便利です。このチケットで、
 ・小江戸名所めぐりバス(全区間)
 ・東武バスウエスト一般路線バス(指定区間)
が利用できます。

 他にも川越めぐりバスを運行している会社がありますが、一般路線も利用できる東武バスが便利です。



 時刻表は以下の通りです。平日は本数が少ないですが、一般路線と組み合わせればさほど不便はありません。

 チケットは以下の場所で購入できます。
・川越駅観光案内所(東武東上線改札前)


・東武川越駅定期券発売所(EQUiAエキア川越改札階※東武トップツアーズ川越駅支店内)
・川越東武ホテル(川越駅西口徒歩2分※ペデストリアンデッキ直結)
・東武バスウエスト川越営業事務所(「神明町車庫」バス停下車)


 まずは喜多院です。川越駅3番バス乗り場から出発します。


 「喜多院前」で降車する乗客は、無料の観光案内サービスが利用できます(ご希望されれば、低額のガイド料で1時間~のガイドもしていただけます)。赤いブレザーを来たシルバーさんのガイドが「喜多院前」バス停で待っているので、わかりやすいです。


 喜多院は天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)です。川越大師の別名でも知られています。鎌倉時代後期より栄えたものの、戦国時代の後北条氏と扇谷上杉氏との間の河越夜戦をはじめとする約10年に及ぶ合戦のため、1537年 (天文6年)に炎上してしまいました。


 しかし、1599年(慶長4年)に徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し寺号を喜多院と改め、川越藩主となった老中・酒井忠利が喜多院の再興に着手しました。1613年(慶長18年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められたのを皮切りに将軍家の庇護を受け、4代将軍・徳川家綱の時代には750石・寺域48,000坪の大寺となるなど隆盛していきました。山門前には天海僧正の像があります。天海僧正は108歳まで長寿を全うしたそうです。


 喜多院が1638年(寛永15年)の川越大火で焼失した際、3代将軍徳川家光の命で江戸城の建物が移築されています。客殿には徳川家光誕生の間と言われている部屋があり、家光の乳母春日局の間を含む書院、庫裏も移築されています。


 小江戸(こえど)とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味合いで使われ、川越のほか、佐原(千葉県香取市佐原)、栃木(栃木県栃木市)が挙げられますが、江戸城から重要な施設を移築するなど、喜多院は「小江戸」をまさに象徴するシンボルといえるでしょう。


 喜多院には、多くの重要文化財があります。


 山門 (重要文化財)- 1632年(寛永9年)、天海僧正により建立。喜多院で現存する最古の建物です。

 
 庫裏(重要文化財) -1638年(寛永15年)建立。


 同年には客殿(重要文化財)も建てられており、江戸城紅葉山の別殿にあった「徳川家光誕生の間」が移築されています。ここは写真撮影禁止なので、公式HPをご覧ください。




 翌1639年(寛永16年)には書院が建立されおり、江戸城紅葉山の別殿から、「春日局化粧の間」が同じく移築されています(ここも撮影禁止です)。



 慈眼堂(重要文化財) - 1645年(正保2年)建立。慈眼大師天海を祀る。厨子に入った天海僧正の木像が安置されています。


 仙波東照宮(重要文化財)。日曜日には門があきますが、訪問したのはあいにく土曜日でしたので、門の外からの撮影しました。



 慈恵堂(県指定有形文化財) 中央に慈恵大師を、左右に不動明王をまつっています。


 多宝塔(県指定有形文化財)

 五百羅漢(川越市指定史跡)。全部で538体が鎮座していますが、全てが違った表情をしています。

 ひそひそ話をしているユニークなものもあります。

 全ての像は掲載できないので、公式HPをご覧ください。


 川越の見どころはたくさんあり、続きは次回(28日)ご紹介します。


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