旧足尾町の中心地は、足尾銅山のあった通洞駅周辺で、松原地区と呼ばれていました。 古河機械金属の社宅があった足尾駅周辺もかつては賑わっていたようですが、現在ではゴーストタウンのように寂れてしまっています。この点、銅山観光の中心地である通洞駅周辺は人の往来がまだ多いようです。 通洞の駅前には、鉄... 続きをみる
日光市のブログ記事
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帰れマンデーにも登場した「ヒロ2世」でランチ:北関東鉄道の旅⑦
足尾銅山の観光を終え、出口を進むとレストハウスに出ます。かなり老朽化した建物で、1階にある大食堂スペースは営業していない模様で、全く人気がありません。2階にある物産店も営業していません。 唯一営業していたのがカフェ兼食堂の「ヒロ2世」です。 実はこの店、「帰れマンデー」「笑ってこらえて」など... 続きをみる
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足尾駅周辺の古河機械鉱業の社宅・迎賓館を見た後は、本日のメイン「足尾銅山」に向かいます。 足尾銅山は1550年(天文2年)に発見されたといわれ、1610年(慶長15年)には地元の2人の百姓が鉱床を発見し、江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されました。幕府は足尾に幕府は鋳銭座を設け、銅山... 続きをみる
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わ鉄の終点足尾駅に降り立ちました。 駅前はゴーストタウンにように静まり返っています。1件だけお店がありますが、「クマに注意」「サルが入ってきますので」との貼り紙にビビッてしまいます。 足尾駅周辺は、足尾銅山を運営していた古河機械金属の迎賓館や役職員の社宅で栄えた街でした。足尾町は全盛時の19... 続きをみる
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大間々駅からはわたらせ渓谷鉄道名物のトロッコ列車に乗車しました。 トロッコ列車には、桐生始発で1両編成の「わっしー号」と大間々始発で4両編成の「わたらせ渓谷号」がありますが、今回は後者の方に乗車しました。旅行会社の企画ツアーなどの団体客もこちらを利用しているようです。 列車は定員制で、有人駅... 続きをみる
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前回、二宮尊徳の報徳思想について紹介しました。 報徳思想については、今日でも信奉者は多く、各地にある報徳社とそれを束ねる大日本報徳社が普及活動に当たっています。また、兵庫県にある報徳学園(中学校、高等学校)は、報徳思想に基づいた教育を行っています。 また、報徳社員が創建した神社に報徳二宮神社... 続きをみる
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経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である(二宮尊徳)
経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である。 これは江戸時代の経世家、農政家、思想家であった二宮尊徳(たかのり:通称そんとく、幼名は金次郎)が残した有名な言葉です。これは二宮尊徳の生誕地に近い小田原城址の報徳二宮神社にある像の横にある碑文にも書かれています。 相模国栢山村(現在の神奈... 続きをみる
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これまで、日光街道の宿場巡りを報告してきました。日光の繁栄は、徳川家康の没後に東照宮に祀られ、日光街道が整備されたことによりもたらされたことはいうまでもありません。今日では、日光の社寺(日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景... 続きをみる
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日光街道の終点は日光坊中ですが、日光の宿場町は鉢石(はついし)宿と呼ばれています。もともと鉢石村という村落がありましたが、1617年(元和3年)に徳川家康を日光山に祀り日光参詣が盛んとなると日光東照宮の門前町として大いに栄えるようになりました。現在のJR日光駅の辺りに鉢石宿の木戸があったとされて... 続きをみる
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今回は今市宿の番外編です。今市から日光までは下今市駅から東武日光線を利用しました。 下今市駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅ですが、駅舎とホームとは跨線橋により連絡しています。駅舎改修に際して、1929年(昭和4年)の開設当初より存在する上今市・大谷向方の旧跨線に代えて、駅舎・ホーム中程と駅... 続きをみる
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大沢宿からバスで日光街道を進むと、下今市駅近くの追分地蔵で日光例幣使街道と合流します。この付近が日光街道20番目の宿場である今市宿になります。かつては今市市でしたが、2006年に(旧)日光市や足尾町などの周辺自治体と合併し、(新)日光市の一部となっています。 日光例幣使街道とは、江戸時代の脇街... 続きをみる
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今回紹介するのは、日光街道19番目の宿場・大沢宿です。現在の行政区画は栃木県日光市大沢町になります。 当地はもともと大沢村と呼ばれていましたが1617年(元和3年)に徳川家康の日光鎮座に伴って宿駅(大沢宿)となりました。元和年間には大沢御殿が建造され徳川将軍家の日光参詣に際し宿泊所として使用さ... 続きをみる